第2話 ニュージーランド留学 学生寮で始まる 編

Yoshiの 留学 体験記 〈 完 〉

前回第1話はニュージーランドへの語学留学を決定するまでのお話でした。
今回は、始まります!新たなニュージーランドでの生活が…

日本出発の2日前まで整骨院の駐車場を雪かき。
お願いした院長先生に引き継ぎ、多くの患者さんに「1年だけ行ってきます!」とご挨拶。

もうフラフラ状態でニュージーランド航空に乗って海外逃亡。
そして、ニュージーランドの首都ウェリントンへ。

この地での生活、始まりは学生寮からでした。
ホームステイという選択肢もありましたが、この頃は「この年齢でホームステイもね」
ということで。
この学生寮、1つの学校附属でもなく、ウェリントンにある2つある大学の学生や、専門学校生、語学学校生…
色々な学校からの学生が集います。日本のワンルームのようなユニットバス付のお部屋がいっぱい(写真です!)。
3階建て、各階の廊下に電子レンジ、1階にはとっても大きなキッチンがありました。

さてこの頃の自分の状況、英語はさっぱり話せず、部屋の電球を変えてほしくてもそれすら言えず。
日本の働きすぎのダメージは癒えず。さらっと韻踏み(笑)

何を食べてもいいかもわからず、ひとまず毎日のようにサーモンの切り身を焼いて食べておりました。
半年後に、同じ漁のお姉さんに、「あんた、最初サーモンばっかり焼いてたわね、結構お高いのに~羨ましかったわ、とのことでした。

そして色々な洗礼を受けます。
お隣のお兄さんが、ガンガン凄まじい低音のミュージックとともに頻繁にパーティー。
これには本当に困りもんでした。英語で文句も言えず、ただ寮長役のマオリのお兄ちゃんが見方になって退治。
ある時お兄ちゃんがゆっくりな英語で、「Yoshi,He moved out!」
追い出してくれたようです。

同じ階には日本人大学生も1人いました。顔合えば挨拶して、ちょっと話して。
ある時からなぜか自分の部屋のドア前に毎朝のようにゴミの入った袋が捨てられる。
誰の仕業だろう~とかとその大学生とも日本語で話していたのですが…

仕方なく誰の仕業がわからんもんかとそのゴミの中身をあさってみる。
すると、なんと日本語が書かれた紙きれが…
なんだったんだろう… 今でも不思議… 自分と同じようにストレスためて日本を脱出したのかもしれません。
日本人が日本人を実は嫌いだったのかも、ですね。わたし、何も嫌われるようなことしてませんから~(笑)

ある朝、ちょっと慣れてきたかなぁ~という時に、コンコンとノック。そしたら知らないきっと寮の人、
「Yoshi,部屋変わって。理由はブツブツ、ムニャムニャ…(英語わからず)」
ってことで訳わからず、荷造りしてお部屋のお引越し。(泣)

何がなんだか、ただウェリントンの晴れた時の綺麗さと、海の眺めだけが助けとなっておりました。

このような感じで日々、寮と学校の間を徒歩15分ほど。
雨が降ればカッパ着て、暴風雨の中を通学。
日本で雪かきを終えてニュージーランドに着いたらそこは2月の秋~ またすぐ冬のやり直し~

ほぼほぼ冬だけの2006年、南極近い地の底での生活をすることになったのです。

次回語学学校編をお送りします。ってまだ何も考えてないけど(笑)
つづく

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