第4話 ニュージーランド留学 ESOLに通う 編

Yoshiの 留学 体験記 〈 完 〉

まずESOLとは何ぞ?
駅前留学とかではないですよ~ そこはニュージーランドですし(笑)

ESOL = English for Speakers of Other Languages
つまり「英語を母国語としない方々のための英語」 です。

前回の第3話、語学学校生活をお話しました。
余談ですが、前回の掲載写真にあった教室、ブログで登場した語学学校教師のジェスがkこの写真に気付いたのです。
日本語が読むことができずとも、きっと語学学校の話だろうとフェイスブックで問いてきたので、
「ジェスがいかに素晴らしい先生なのかを書いてあるんよ!」と返すも信じず。
ですが、Google翻訳で翻訳したようで、それが本当のことであったことがわかったようです。
こうした縁というもの、本当に不思議でありがたいものです。

さて、もとい。

前話の最後にもありました。
徐々に語学学校にも慣れて、生活にも余裕を感じつつ、貴重な1年がこのまま過ぎていく不安もありました。
他にも何かないものか… まぁ、今考えますと、日本で働きすぎた副作用はまだ完治していなかったのでしょう。
せっかくニュージーランドまで逃げておきながら、まだ楽をするとか、何か遊びにとかはなかったようです。
現実、まだまだリハビリはこの後も続きました。

さてどうしようか~ と考えながら、行きなれた図書館の掲示板を見ていると、
ESOL の案内がありました。
これは何?とじっくり立ち読み。
ふむふむ、週に2回。ニュージーランド移住者のための英語学校開催。
お~、私は移住者ではないけど無理だろうか?
場所は、学生寮の隣の高校じゃないですか?
こうなりゃ行って直接聞いてみよう!!

スタッフさん
「もう締め切ったけど、何とかなるかも。」
「でも永住権持った移民ならこれタダだけど、あなた半年で100ドル必要よ!」

100ドルって、半年で8,000円!? 語学学校に比べたらタダ同然ではないですか。
即お願いして、早速次週、夕方から週2回のスタート。

初日です。
ちょっと早めに来てね!ということで、何かと思ったらペーパーテスト…
この期に及んで。

テスト終わって、クラスへ!
おっと、いつも小さな語学学校クラスなのに、さすがにこちらは首都のESOL。
5クラスくらいあったかな。

まず担当者さん、一番初心者クラスへ連れていってくれます。
なにぶん、この頃は喋られない・聞けないの典型的日本人英語レベル。

新入生よろしく、まずは前に立たされて自己紹介。
うぁ、日本人なんて誰もいない… すごい顔ぶれ。
東南アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アラブ…

でもでも一番下のクラス、この授業なら楽しそうだ!
ついていけるぞ、ラッキー!
と初日にしてハッピーな気分に。

突然、10分後、先程の担当者さんが教室に来て、
「Yoshi! come with me!」

って、初日から何もやらかしていないのに呼び出し?

教室でて、担当者さんの後ろをついていくと、別の教室に。。?
「Yoshi, あなたは一番ハイレベルのクラスよ!、テスト、とってもよかったわ!」

こらこら、こちとら日本人ぞ。読み書きはできるぞ。中学、高校、大学入試、それからももがいて色々な英語教本に手を付けている。
でも、話せない&聞けないんだって(泣)

再度の新入生・自己紹介

おいおい、この授業、さっぱり何言ってるのかわからん。
語学学校と違って、文法とかは少しでかなり実践的。

「はい、あなたは不動産屋さん役ね。あなたはお客さんで物件の希望を伝えて!」
無理って、そんなん、こちとら外人さんと話すこと自体に慣れていないレベル。

10分で優等生からクラス一番の劣等生へ…(泣)

それからは、毎回、もぉ不登校寸前。行きたくねぇ~
でも、こちらから無理をお願いして入れてもらったのに。。

でもそんな感じで通いだすと、周りも気付く。
この日本人、喋られないぞ!言ってることも理解しているか怪しい!

ですが、みんな優しいんだ。

命の次に大切な永住権を取得するため、祖国を離れて必死でもがき苦しんだみなさん。
日本人にはまったく理解できないつらさ。
自分のように、お金を出して学生ビザで入国している人間とは経験と苦労が違う。

そのうち色々な国の友達ができました。
飲みに連れだされたり、ご飯したり。
もう色々な国籍。ネパール、フィリピン、インド、アフリカ(もう国名も忘れました。)…
韓国や中国などの東アジアはほとんどいませんでした。きっとこういうの躊躇するし、英語できるんでしょう。

その中で印象深いのが、典型的ヨーロッパの女性顔、すっごい鼻が高くて身長高い、同年齢ぐらい。
出身は、当時ヨーロッパながら聞いたこともなかった国から。旦那さんと一緒に永住してきたんだけど。

彼女はもう話すのも聞くのもまったく問題ない。
ただ文法や書くのは苦手。

こうなりゃ、タッグ組んで足りない知識を補いながらの授業。

ずっとタッグ組んでいると色んな話をする。
家にも招待されて、他のクラスメートや旦那さんと食事をしたり。

彼女、祖国では産婦人科医なんです。でも内戦などの理由で国で留まることが難しくなり移住。
苦労してニュージーランドの永住権を取得したのに、この国で医師として働けるほどの英語力はなし。

そして当時は、スーパーのレジをしていました。
そのスーパーに行くたびに、声かけられて。

今はNZで医師できてるかな?まだNZにいるのかな?元気でいてくれることを祈ることしかできません。

残念ながら、もう縁はなくなってしまいましたが、ウェリントン時代には本当にお世話になりました。

そんな感じで登校拒否児も、なんとか助けられながらも通い続ける。
ESOLの先生もよかったけど、何より日本人が1人もいないクラスで、英語を母国語としない世界のみんなに混じる時間が持てた経験。それが私の財産です。

いい思い出でもあり、今でもウェリントン好きなのはこんな時があったからだと思います。

語学学校にて英語で文法を知り、基本をしっかり学ぶ貴重な時間。
そしてESOLで実践的な英語でつらい思いをする。

かくして、ウェリントンでの学生生活は続くのでした。

はい、つづく。

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