大学入学、今だから振り返る…

人生を振り返る忘備録

さて、なぜか勢いあまって、高校時代を愛読書紹介「太郎物語」にてつい語ってしまいました。
苦労して入学した超進学校、ですが高校生活は大きな思い出もなく過ぎ去っていきました。
もっと普通の高校に行ったらよかったわ。

ならば次は大学時代を忘れずにいるうちに記しておかなくてはいけません。
ちょうど大学入試シーズンでもありますし。

大学受験勉強、高校3年間をS台予備校の現役コースに通いました。
後はずっと名古屋 「鶴舞図書館」自習室で勉強した思い出しかありません。

あきらかに自分の中では高校受験より大学受験の方が楽でした。
この表現は違う、大学受験の方が楽をしました(笑)

今思えば、もっとしっかりお勉強していたら、日本でいう偏差値のよろしい大学に行っていたでしょう。
ただただ、もうすでに「太郎物語」に影響されてか、独特(ずれた)価値観だった自分、大学に行く目的がまわりの頭の凄い方とは違っていたと思います。

大学受験ためだけに1年間を費やす意味がわかりませんでした。

なぜだったのか?
すでに自分は名古屋を脱出して、弁護士になるために関西大学法学部法律学科に行く!と決めていた感があります。
東京指向のとっても強い名古屋人のひとりが、東京に向かわず大阪に、もうすでににアマノジャク感しっかりあります(笑)

理由ですか?
何となく。でもこれは「いい加減」を意味するのでは決してないです。
なぜかこの時期に大阪に行くこと、関西大学が人生でしっくりくるような気でいたのです。
名大、阪大でも関学、立命でもなく、その頃からオシャレ度ゼロで芋大学感しっかりの関大に行きたいという、変り者でした。
(この後、同じような変わり者に出会ったのは1人だけでした。)

自分ひとりが関大合格を心から喜び、両親含め学校職員もまわりもその結果に落胆をしておりました。
高校のクラスメイトの中にはあからさまにバカにする者もいました。

もし自分がニュージーランドで育っていたら、「浪人」という選択肢は存在すらしない。
なんせ高校を卒業したら大学、という考えすら全員があるわけではなし。
高校卒魚して、将来何するかを考えるために世界を旅してくるわぁ~ なんて普通。
専門学校や大学は勉強をしたくなったら行くところ。それが30、50、70歳であっても何の違和感なし。
あとで、経験をしてわかったこと、「留年」という言葉も意識もニュージーランドにはないです。

どうも、18歳の時から自分は日本人としての枠では生きられなかったのかもしれません(笑)

大学生活を始める狭いワンルームも決まり、両親の干渉から逃れたことによる解放感と喜びは今でもしっかり覚えています。
東大に行くものとばかり思っていた両親の落胆や、それは最後までブツブツとおっしゃっておりました。

関大の中で、法学部と文学部学舎につづく、「法文坂」があります。
大学初日、その坂道をのぼる時に、「あ~ この学校好きだな~」とつくづく感じ、幸福感を味わったことも鮮明に思い出します。

だいそれた出来事があったわけでもないのに、忘れられない、なぜかよく思い出す一瞬、ないでしょうか?

今振り返ると、母校を好きでいられること、これが後々の生き方に大きなよい影響を与えると実感をしています。
自分が好きな学校を卒業しているという意識は、ひとつの土台として生きるのではないでしょうか。

大学名でも、偏差値でもなく…

大学卒業後にも、私は専門学校3校(合計7年)を卒業し、語学学校にも約1年弱通うことになります。

ですから、私の最終学歴は大学卒ではなく、専門学校卒です。
こんなに学校行くことになるんだったら、医学部行けばよかったさ~ とはたまに思います(笑)

なんて冗談を言っておりますが、やはり関西大学というのは特別な存在です。
社会に出る前の4年間は今でこそわかる大切な時期でした。

大学初日、まず大学1回生(関西地方は関東と違い1年生とは言いません。)クラス分けは名前の五十音順による学籍番号で。
予備校のような高校3年間で1人も友人と呼べる相手に巡り合わなかった自分に、3人の友人ができます。

学籍番号近い者ばっかりの3人。
3人の苗字は、山川、山中、山田
自分の苗字と同じ別の山田も含まれておりました。

このもうひとりの山田(M)が自分の人生に大きく影響をしたことに、Mは今でも気付いていないでしょう。
去年、一緒にトンカツ食べましたが(笑)

何はともあれ、大学での司法試験勉強、そしてアルバイト生活のスタートです。

大学生活はまたの機会に。

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