大学生活、今さらに振り返ってみる

人生を振り返る忘備録

前回の大学入試、入学のお話のつづき。

大学生活が始まり、さぁ弁護士目指そうぞ!
と、所属したのは、「千里山 司法試験研究会」 略称 「司法研」です。
何ともまぁ真面目だったことか。面白くなさそうでしょう。
でも何かをコツコツコツと積み上げるのは今でもお好きなようで。
ただ好きなことしかしないのは、これまた今も昔も同じだったようです。
司法試験さえ通過すればいいから、別に大学の成績なんて気にせず、ただただ単位さえ要領よく取っておこう!主義を貫いておりました。

でも今考えるとなぜに、あそこまで貧乏だったのか…
確かに親に喜ばれてきた大阪でもなく大学でもなかった。
なので仕送りも微々たるものだったのでしょう。学費だけでも出せてもらえたのでラッキーでした。

生きるためにはアルバイトも!
ということで、すぐに青の縦じまユニのコンビニバイト生活が始まります。結局4年間も続けてしまいました。
当然時給のよい夜勤専門。
食事はコンビニの賞味期限切ればかり(当時はそれも許されていたんです。ゆるかった時代)。
シシャモの賞味期限切れ、鮭弁当 計2回ほどの点滴級の食あたりを起こしはしましたが、それでも本当に生かせていただきました。
助けていただいたので、今でもひいきのコンビニは青の縦じまです(笑)

食品を扱う仕事は、生きるためにとても救いになる!この学びが後々生きてくるのです。
それは27歳を迎えた時のお話。

夜9時から朝6時まで勤務を週4以上。
そして大学通学してと。

そんなお勉強とアルバイト生活。
借りた狭いワンルームマンションは、溜まり場にならないように大学からバイクで15分ほど離れた所に。
その目論見はまったく外れます。
いつの間にか、友人がいっつも部屋にいてはる。自分がいなくてもなぜか寝てはる。
大学近くより居心地よかったみたい(笑)

寝ないでも釣りに駆り出される。関西空港がある場所は昔とってもよい釣り場だったんです。
関空到着すると、昔この場所で釣りしたんだよな~と思い出します。

そしてまわりには体育会関係者が多い。体育会の応援には、よくよく行きました。
山田Mのおかげで、スポーツの現場、裏方の大切さを大学で学びました。
これまた後々、人生を大きく左右することになるとは、司法研の私は思いもせずでした。
人生は不思議なものです。

アルバイトもコンビニだけでは足りず、高校野球の甲子園球場・スタンドで「かち割り」売りも。
1つ「かち割り」を売ると10円、缶ビール1本売ると30円の身入り。
その姿がどうもNHKさんの放映に映ったらしく、親戚から何をしてるんや!勉強しろ!との電話をいただきました(笑)
よい思い出ですね。

こうして司法試験のお勉強、つらいアルバイト、そして友人との思い出を作りながらの大学生活。
そんなこんなで3年間が過ぎ、4回生を迎える時期を迎えます。

コツコツコツコツと弁護士目指して積み重ねるも、大人になるにつれて自分のことをわかりだす。
本当に弁護士向いてるんかいな?
まわりの法曹希望者は、まったく人生を楽しむことに興味もない。
恋愛なんか、なんやそれ状態。法律書籍以外は本ではない。
司法試験突破した先輩の体験談聞けば、おめでとうではなく、もう悲壮感しか残してくれない…

このまま大学卒業して、受験勉強を続けていく?
よくよく考えたら、高校も普通ではない大学予備校のような生活。
大学生活もアルバイトとお勉強中心。
友人や同級生と比較しても、まったく持って経験がない。地理好きなのに、海外なんて皆無。
日本国内もさっぱり行ったこともない…

本は好きで頭でっかち、でも経験不足の薄っぺらい人間…
そんな自分が嫌になってまいりました。弁護士な… 世界狭そう…

こうして経験不足からくるひたむきさで、大きな迷いもなく働きながら、友人と遊びながら、法律を学んできました。
そして初めて自分の人生について考え、迷う時がきたのです。
今思えば、この時を迎えるための大切な大学生活だったような気がします。

友達にも誰にも相談せずの決心。そうしよう、世界広げよう、色々な所にも行こう、何でも経験してやろう
お~ やめようぞ! 法律のお勉強、もうやめようぞ!
こうして司法試験のお勉強は3年で終了です。

ですが刑法だけはお好きだったようで、ゼミも刑法界では日本でもっとも有名な教授のゼミ。
自分以外、ほとんどが法曹希望者。

3年を終えた時点で、大学の単位はしっかり取得しておりました。
4回生の1年を残して、16単位、4教科単位取得で卒業、つまりもう楽勝状態。
ただただ、ここで一つ問題が。
優良可の優をさっぱり取得していない。別に良でも可でもよし、要領よく単位さえ取ればOK!
そんな3年間、でもこれから就職活動するなら、さっぱり優の数少ないわな…
何とかなるか…

こうして最終学年の4回生、卒業は楽勝状態ながら優の数が絶対不足。
時代はバブル全盛、そして思いがけず就職活動をすることになるのでした。

つづく

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