衝撃の就職活動をふりかえってみようか…(前編)

人生を振り返る忘備録

今回は長くなりそうなので、2日連続、前編と後編に分けましょう。
あまりにも面白い!? 衝撃大きい思い出もありで。

「振り返るシリーズ」 前回までは大学生活をお話しました。
大学4回生になり、法曹の道を諦め、思いがけず就職活動をすることに。

当時は何の武器もない、体育会系でもない、サークル活動してない。
司法試験受験研究会中途退会、なんてマイナスでしかない…

それに本人が何をしたいのかすらよくわかっていませんでした。
何もないだけ、色々なことを経験してみたい。
時の流れにほとんど身を任せながら、何となく運輸いいなぁ~。
流通や鉄鋼関係なんて絶対にイヤ。
こうなれば、「人事をだまして天命を待て!」だな…(涙)

悲壮感いっぱいそうですが、世の中はそれを許さない。
何といってもバブル全盛の時代。
世の中が浮かれていて、会社の内定はいただくのではなく、集めるもの。
人事側も学生もお祭りみたいな雰囲気で落ち着きありません。

それでもあの頃は一応就職内定解禁日なるものがあり、それまでは内々定。
解禁日に本内定を1つもらう。
その後にトップ企業からの声がかかり、難関就職先を目指す。
そんな形でした、がそれもただの見せかけ。
企業が本当に欲しい人材は解禁日など何の関係もなく、3回生時からしっかり内内内定をトップ企業も出していました。

私はそんなトップ企業から早々にお声がかかる人材でもないので、解禁日にどこの内定を押さえておくか。
まず、それが問題。
そしてそこからが本当の勝負でした。

解禁日までに内々定は数多くいただきました。
証券会社も3つほど。運輸も名古屋の鉄道会社や、銀行さんからもお声をかけていただく。
中部地区の大手さんから内々定のお話が多かったのは、大学名ではなく、まさしく出身高校の名前です…

解禁日に内定1社を押さえておいて、その後に希望する運輸の内定を取るべく勝負!

結局、解禁日までに絞ったのは2社。
4大証券のひとつ、山@証券。当時、人の山@と言われていましたが、本当にバブルの波に浮かれることなく、人事の社員さんも素晴らしかったです。

もう一社は、大阪本社の鉄鋼専門商社。
他の内定いただいた会社に比較すると規模も小さく、今でいうB to B企業で一般的に名前も知られていない。
ですが、色々な経験はできそう!
隠れた優良企業という位置も自分らしいかも。

そしてもうひとつ、誰にも言わなかった理由。
当時も今でも親友である、山田Mの存在。
ずっと一緒にいても、
「あ~Mにはかなわない。こういう人間がビジネス界で上を向かっていくんだろうな~。そういう世界はMを見ていればわかる。自分は正直サラリーマンに向いているとは思えない。なら一流企業のサラリーマンでなくてもいいんでないかい?」

そう、まさしくまた太郎物語的な考えが大学入試同様に頭をもたげていました。
なら、ここはひとまず山@証券ではなく、経験積めそうな鉄鋼商社を押さえておこうか。
東京で働きたくないし、大阪本社もいいんでないか。

こうして、解禁日です。
山@証券の内定式をパスしました。
今でもよくよく覚えています。山@証券の人事からの電話、すごい剣幕でお怒り。
「君の希望も人生も終わだ!! ガチャン!」と切られた電話。
それから7年後、経営破綻をした山@証券、歴史に残るボロボロの社長の謝罪会見ニュースを呆気に取られて観るYがいました。。

内定解禁日にもどりますね。
この日、他の会社の内定式に行くことを制止する目的で、内定者をどこかに連行する。
言うなれば、内定者拘束旅行に出かけました。もう美味しいもの食べて、遊ぶだけの旅行です。

場所は石川県羽咋市、能登半島です!
内定者の中には自分と同じように、この旅行後に希望会社の内定を勝ち取ろうと目論む学生も多かったです。
そんなことは表に出すことなくみんなで楽しくソフトボール!!

は~い、バッターYです。ピッチャーH川(あんたや(笑))。
H川投げました!超スローボール。
Yは心の中で「おっそいな~」
そして全力スウィング!!

その瞬間です、急にホームベース上で左膝を抱え込み倒れる可哀そうなY君。
心配そうに集まる内定者たち。
脚をつったのだろうと足を伸ばす者も。
結果、より大きくなった悲鳴にたじろぐみんな。
アタフタしだす会社人事課社員。
Yは何があったのかさえ理解できず、ただただ気絶寸前で激痛に耐えるのでした。。

明日の後編につづく

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