衝撃の就職活動をふりかえってみようか…(後編)

人生を振り返る忘備録

昨日、前編のつづきです。
いわゆる就職内定解禁日、拘束旅行でのこと。
石川県羽咋市にてソフトボールでの出来事、左膝を抱え込み倒れたY。

すぐに救急車で病院に運ばれることに。
レントゲン撮影後、なぜか手術台の上に、激痛そのまま、もうフラフラ(涙)
救急当番の女医さん、どうしたものかと困ってはる、横で医学書開いて慌ててはる…
処置方法が明らかにわかっていない…

激痛の中でもわかるんです、何かおかしい、左膝が変だよ…

突然手術台に独り放置され、女医さんは手術室から飛び出し、誰もいなくなりました。
数分後です、先程の女医さんが看護師さんが3人ほどと一緒にもどってきました。

無言、無言… みんな静か、何かみなぎる緊張感。
そして3人の看護婦さんが自分の体を一斉に抑え込む!?
女医さん、屈曲している自分の左脚を急激に伸ばし、左膝に一撃!
その瞬間、それまでの人生で経験ない悲鳴をあげるY。。
ですが、急に激痛は緩和…

「左膝蓋骨・外側脱臼」
つまり膝のお皿が脚の外側に外れたのでした。
今、目を細めませんでした?(笑)
痛そうでしょ?
いつも思うんです、分娩はこれより痛いんだろうか…
だって、人生で最高に痛い瞬間だったから…

女医さん、外れた左膝の皿を整復、元の位置に押し込んだのです。
この時は、まさか自分が何年後かに脱臼を整復する側になるとは露とも知らず(笑)
それは12年後のこと。
関係なさそうなことも、人生はきっと繋がってる…

そういえば生まれつき、全身の関節が緩く、いわゆる「ルーズ・ジョイント」ではありました。

これがポンコツ左膝との長くつらい始まりだ。
そしてこれから私の人生を左右する、いたずらしてくれることになるのです。

大阪に松葉杖で何とかもどりました。
ですがパンパンに腫れ、その後大阪の病院でがっしりギブス固定。
3週間の完全安静となりました。

狭いワンルームのベッドで痛みに独り耐える。
そんな状況でも、電話が度々鳴ります。
「@ェイ@東海です。これから来て下さい!」
「空飛ぶA@Aです。この前のお話の続きですが…」
「お問い合わせありがとうございます、小@急です。これから東京まで…」

すべてお断りさせていただくしかありませんでした。。

こうしてベッド上、見事に拘束された私、就職活動は強制終了です。
ですが、本人はあまり落ち込むことなく、むしろその状況を楽しんでいる感、何となくしっくり受け入れている自分がいました。

何か当然おとずれた、運命だったのか… とも思える、今では。
こんなことがその後にも、またあるのですが。。?

またみんなが喜ばない、常識ではない選択だな(笑)
まぁ、楽しそうだし、色々なことが始まりそうだし、いいかぁ。
親が怒り呆れて電話して怒鳴るだろうけど、気にせんとこ!

自分に言い聞かすY、こうして大学生活の終わりも迎えます。
あれっ、鉄鋼関係絶対イヤだったな、まぁいいか(笑)

つづく

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