Yoshiの人生を振り返り、いつか自分が読んで思い出すであろうことを残しています。
【No.993】「私の忘備録」を終えて 振り返る ~あとがき~
「私の忘備録」シリーズをやっとのことで書き終えることができました。思いのほか大変なことだったのですが、「あとがき」としてこのブログを残しておこうと思います。勝手気ままなお話を長く書き残したものをお読みいただきありがとうございました。
【No.989】スポーツ・トレーナー時代、振返りも最終章 #6
夢を叶えてもらったアメリカンフットボールチームを去ることになり、私は新たなトレーナーとしての活動先を探し、京都のクラブチームで再び頑張ります。ですがそれは長く続くことなく、限界を悟り、ついに日本から逃げることになります。向かう先はニュージーランド。
【No.985】スポーツ・トレーナー時代、振返りも最終章 #5
サラリーマンを辞めてから長年追い求めた夢が叶い、アメリカンフットボールチームではメディカルスポーツトレーナーとして充実した日々を送っていました。ですが、毎日働き続けていた自分は仕事以外の判断能力がなくなり、自分を失っていました。そしてチームを離れる時がきたのです。
スポーツ・トレーナー時代、振返りも最終章 #4
前回のお話では、新たな整骨院を開院しました。その整骨院の様子を語っています。また同時に大阪ではメディカルトレーナーとして活動。その活動風景も一緒に。そしてあるアメフトチームの試合中に感じた一瞬のことをこのお話に残しています。この時があるからこそ…
スポーツ・トレーナー時代、振返りも最終章 #3
Yoshiの人生を勝手気ままに振り返り、文字にしてみる。そんなシリーズも終盤です。大阪でメディカルトレーナーとして活動をしつつ、その裏で共同経営に失敗をして大阪を離れ日本海に面した田舎町で新たな整骨院を開院することになる当時を振り返ります。
スポーツ・トレーナー時代、振返りも最終章 #2
スポーツトレーナー時代を振り返る、振返りシリーズの最終章、2回目となります。アメリカンフットボールチームのメディカルトレーナーとして本格的に働き、それと同時に友人と共同経営をしていた会社からは去ることになりました。本拠地を大阪から日本海の田舎町に引っ越します。
スポーツ・トレーナー時代、振返りも最終章 #1
専門学校も卒業、国家試験も合格をすることができ柔道整復師免許を取得。そしてアメリカンフットボールの強豪チームにてメディカルトレーナー(アスレチックトレーナー)活動がついにできるようになりました。まずはアメフトチームについての説明をしています。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #7 最終話
Yoshiの人生を勝手気ままにお話をシリーズ、そして「柔整専門学校」の最終話となりました。昨日のお話ではアメリカンフットボール・トレーナーの研修生となり、そして専門学校生として、卒業と国家試験を間近に控えた様子、そして国家試験もお話をしています。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #6
Yoshiの人生を振り返り、勝手気ままに残してしまうシリーズ。今回は柔道整復師専門学校3年生当時のお話です。専門学校卒業と国家試験受験を前に、トレーナー研修生となるお話。そして柔道整復師免許の国家試験受験を目の前に控えた専門学校生でもあります。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #5
Yoshiの人生を勝手気ままにお話をしているシリーズも終盤を迎え、前回に続き柔道整復師専門学校時代を振り返っています。専門学校も3年の最終学年となり、苦手科目だった生理学も得意科目へと変わり、そしてそれからの将来に影響をする授業を受けることになります。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #4
Yoshiの柔道整復師専門学校時代について、勝手気ままに振り返り、お話をしています。今回が4回目となりました。今回のお話は柔道整復師になるために必要な柔道の授業についてです。この新たなスポーツの柔道経験が後のニュージーランドで生きることになります。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #3
前回の#2に続いて、柔道整復師専門学校の夜間部に片道2時間をかけて通う専門学校生時代のお話です。3年間の1年目は基礎医学の授業が中心でした。特に解剖学の講師であった医師の先生とはその後もお付き合いをさせていただくことになるのです。1年目のお話です。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #2
前回の#1にて柔道整復師専門学校への入学の経緯をお話しました。滋賀の田舎から大阪市の専門学校に2時間の通学です。夜間部だったため、自宅に帰るのは午前0時前。そして医療系専門学校の高額な学費を支払うために、奨学金の申請をしてみました。その結果も一緒に。
振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #1
カイロプラクティック院の経営も順調、安定もしてきた頃、新設の柔道整復師専門学校への受験のお話をいただきました。これによりスポーツトレーナーとして大きなチームで活動する夢を実現すべく、柔整専門学校への受験を決意しました。その結果とそれ以降のお話です。
カイロプラクター Y の時代を振り返る ♯4
前回のお話、大阪においてカイロプラクターとしてスタートし、やっとそれも結果を残しました。そして今回はその大阪を離れ、新たな滋賀県の地方でカイロプラクティック院を開院することになりました。その新たなスタート、そしてまた転機が訪れたのでした。
カイロプラクター Y の時代を振り返る ♯3
前回の#2においては、カイロプラクターとして、そして自営業者としてやっとスタートを切ることができました。今回の#3では、動き出したカイロプラクターとしての生活は順調に進み、忙しい日々となります。そして新たな決断をする時がおとずれるのです。
カイロプラクター Y の時代を振り返る ♯2
前回のお話ではカイロプラクターとして、また自営業者としてスタート。そして営業を始めます。ふとしたきっかけから、集会所の2階の和室を週1回借りることができ、そこで出張カイロプラクティック院を始めることになるのです。さてその様子、初めての施術を。
カイロプラクター Y の時代を振り返る ♯1
前回のお話で、カイロプラクティックの学校を修了。卒業後、鍼灸整骨院で修行をしながら、出張専門、それも地域限定のカイロプラクティック院を開業したのです。これが自営業としてのスタートとなりました。当時の宣伝などの状況などを振り返っています
振り返ると、カイロプラクティックの学校#3
サラリーマンに終止符をうち、カイロプラクティックの学校に通い出してから3年目、学校もついに最終年となりました。それまで働いていた食品工場も辞め、整骨院での助手をすることになりました。そこでの経験などをお話します。そして学校の卒業を迎えます。
振り返ると、カイロプラクティックの学校#2
サラリーマンを辞めて進んだカイロプラクティックの学校です。入学して2年間のお話です。学校だけでは足りず、色々な勉強会に参加をしたり、すでに活躍するカイロプラクティックの先生のもとを訪れて勉強をしたりする日々が続きます。まだまだ迷いながらです。
振り返ると、カイロプラクティックの学校#1
大学卒業後に新卒として就職をした会社を退社。そして夜勤の食品工場で働きながら、新たにカイロプラクティックの学校に通う毎日が始まりました。その毎日はまさしく過酷、睡眠時間も2時間ほどしかなく、必死で生きた時代です。会社を辞めてからの人生スタート。