振り返ると、カイロプラクティックの学校#1

人生を振り返る忘備録
5+

大学卒業後、新卒として就職をした会社を退職。
そして選んだ道は、カイロプラクティックの学校に通うこと。
そのいきさつは、「退職前 その3」を読んでいただくとわかります。

退職をして10日もすれば、学校が始まりました。
大阪市の南港にあった自宅から、東大阪市の学校まで。
ニュートラムと地下鉄を乗り継ぎ、ちょうど1時間ほどの通学時間。

朝9時の始業に間に合うように家を出る。
ですが、食品工場の夜勤を終えて帰宅するのは午前6時…
睡眠時間は…… きっと2時間ほど。。

それでも銀行から借金をしてまで通う学校です。
絶対に休みことなどはしません。
学費はすべて自分が稼いで払うんです。

それにカイロプラクティックの学校は、文部省認可の学校でもありません。
当時のカイロプラクター養成校は、通常が1年ほどで修了。
下手をすれば1か月や、10回ほど講習を受けるだけ。
それで、ハイ、あなたは、カイロプラクターね!
そんな世界、今ももしかしたらあまり変わりがないのかもしれません。

それを納得をしたうえで選んだ道。
その道はわざわざ遠回りをするかのように、全日3年制。
月曜から金曜まで毎日通学、3年間で修了の学校。
当時の養成校では、もっとも長い通学期間でした。

このへんから、自分らしい選択とも言えます(笑)

なにはともあれ、過酷な食品工場、睡眠時間もない毎日。
毎日がフラフラ…
それでも会社を辞めた危機感もあり必死。
20代後半だからこそ、無茶をできた…
そんな経験が人生であるのは、なんとなく良いものです(笑)

あぁ~ あの頃、お金もなく寝る時間もなかったな……
無茶苦茶ツラくて、働いて、勉強して…

学校の授業は初めての世界です。
ここで初めて、医学というものを学ぶことになります。

解剖学、生理学、スポーツ医学…
その教科書は、鍼灸専門学校で使われるものでした。
入学を断念した鍼灸の学校。
ひとまず教科書だけは同じ、それが医学を学ぶスタート。

その後、日本語でも英語でも医学を再度学ぶことになります。
そんなことは露知らず。

この学校での医学は今思えば、基礎の基礎。
ただ基礎医学の講師さんがとっても熱心だったのはラッキーでした。
もちろん熱心な学生だったので(笑)

でもクラスメートの学生たちは色々。
自分のように社会経験をした学生はやはり必死です。
ですが、20歳前後の学生さんはね!(笑)

早々に退学をする、というか学生は消えていく。
学内でマルチ商法を広めて、消える…
仕方がない、卒業の先に国家試験があるわけでもない。
必要なのは、それぞれのモチベーションとやる気。

などと言っても自分のモチベーションも怪しいもの。
さっぱりカイロプラクターになりたいわけでもなく、目指すスポーツトレーナー。

思いはあっても、まずは基礎医学を学び、患者さんと向き合う。
そんな土台がなければ、その先はないはず!
そう思い込まないと、過酷な日々は乗り越えることができなかった。
それが本当のところでしょう。

何よりも考えたり悩んだりするより、生きることで精一杯の勤労学生。
まさか勤労学生の時が、この先に長~く、長~くなるとはね…(笑)

食事は、ほとんど食品工場の賄い。
頑張って生きていました。
安定を捨てた自分の幕開けです。

(当時の写真が全然ありませんでした。
そんな余裕すらなかったのでしょう…)

つづく

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