カイロプラクター Y の時代を振り返る ♯4

人生を振り返る忘備録
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前回のお話 #3 では、大阪住之江区にて、カイロプラクターとして開業。
最初は当然のごとく上手くいかずとも、そこは元営業マン。
しぶとく営業を続けた結果、だんだんに仕事も増えていきました。

そして結果として2年後には、とっても忙しく日々休む間もなく施術をする毎日でした。
ですが、ここでなぜか決心をします。
地盤のできた大阪を離れて、滋賀の田舎でカイロプラクティック院を開業です。

2021年、振り返れば、ここから繰り返すパターンがあります。

都会で頑張り資金を貯める。
そして都会を離れ、自然多き地方へ移住をする。

なんとなく、いえ、間違いなくこれを繰り返す人生。
もちろん大阪を離れた時点では、そんな自分を知るはずもありません(笑)

さてここで滋賀の地は初めてではありませんでした。
大学卒業して就職。
就職してすぐに技術を学ぶべく製造工場に出向をしました。
このお話はゆっくりとさせていただきましたね。

その製造工場があったのが滋賀県の湖西。
ご存知、滋賀県は琵琶湖を大きな水瓶として成り立っております。
滋賀県内では、琵琶湖を中心に地方を呼びます。

湖西、湖東、湖南、湖北地方。

そして以前から滋賀県湖西地方にもどろう!
と、なんとなく思っていました。

滋賀県は関西の田舎、琵琶湖しかない、何もない?
はい、その通りかも。
ですが、自然災害も少なく、とっても住みよい県なんです。
都会までもすぐ、もちろん自然はいっぱい!
琵琶湖、伊吹山、伊賀、甲賀、信楽…
なんなら日本海までもすぐ、交通の要所でもあるんです。

そんな地で新たに開業をした、Yカイロプラクティック院。
大阪では、Yカイロプラクティック。
違いは、「院」がなかったんです。
それはそうだ。
大阪では、院を構えていなかったのだから(笑)

今度はしっかり看板も挙げて、院を構えたのです。
ですが、この時にはあまり不安もなく再スタートをしたことを覚えております。

けっして昔いた製造工場のスタッフさんを頼りに自営していたわけでもありません。
ただまたいつも通りに営業をして。
まず私、優秀なカイロプラクターというより、出来る営業マンだったのです(笑)

本当に営業マンとして経験を積ませていただいたことに感謝せねばなりません。
これ以降の人生においても、もちろん貴重な経験として生きています。

そして大阪時代よりスムーズに患者さんも増えていきました。
カイロプラクターとして経験を日々増やし、臨床の場でも良い結果を残していきます。
もちろん失敗だってあるし、今でも忘れられない悔しいこともありました。

カイロプラクティックには、多種多様なテクニックや学派?があります。
ですが、どうもひとつのことを極めることが何に関しても苦手な私。

良いとこどり。

まさしくカイロプラクターYも、そんなヤツでございました。
我流? なんか響きがよろしくないので、そうは言わない。

性格として、きっと基礎医学の知識もしっかり大切にしておりました。

ある時には、頭痛の患者さんを施術。
自分も片頭痛持ちなので、気持ちもわかる。
そして対処法も理解できるのかも。
頭痛の患者さんに対してよい結果を残せば、その患者さんが他の頭痛患者さんを紹介してくれはる。

そして待合室を観れば、頭痛の患者さんが続き、なんとなくどんよりと痛く暗いオーラが(笑)

妊婦さんの腰痛に対してのアプローチが上手くいったこともありました。
そうすると妊婦さんが妊婦さんを紹介してくれる。
正解!待合室はある時…
「ここは産婦人科かいな?」
の光景を今でも覚えています。

なによりも困ったこともありました。
よくよく続けて来てくださった患者さん。
その方の職業もよく知らずに。
ある時、その方のご紹介でということで、来られた患者さんの職業は医師…

紹介してくださった方もお医者さん。。
こうして医師を含めて、医療関係者の方が続いたことも。。

ん… カイロプラクターは国家資格もない立場です。
もちろん、それなりに基礎医学も学んできましたが、それを証明することもできない。
いわば、医療関係者から言えば、ただの人…

なんとなく、言われなき緊張とプレッシャーを感じつつ施術をしておりました。
のちに自分が国家資格を有し逆の立場となったことも。
施術をしていただく方は、まったくそんなことを気にもしていません(笑)

良いものはよいんです。
資格があっても、さっぱりダメなものは…
みなまで言うな!(笑)

こんな日々が続いた30代前半。
自営業者としてもけっこう安定をしていた時代でもあります。
この頃にシドニーやニューヨーク、トロントなどをひとり旅。
海外旅行の魅力を知ったのもこの頃。
(これがいけなかった?そうかも 笑)

けっこう余裕があったことをうかがえます(笑)

あのままカイロプラクターとして、生きていく選択肢もありました。
それなら、今こうしてニュージーランドに生きることもなかった。
旅行を業務のひとつとして経験することもありませんでした。

ですがどうしても心に引っ掛かりを覚えながらの毎日でもありました。
それより前に、私には夢があったんです。。
「大きなスポーツチームで、トレーナーをすること!」

そのために会社も辞めた。
安定した人生も捨てたのでしたね。

なんとなくカイロプラクターとして生きていけた。
そのままでもよかったのに…
ですが、ひとつ転機が訪れたのです。

ある事案の判決が裁判所で下されました。
その判決によって、規制緩和が一気に起こったのです。
「柔道整復師」養成の新たな専門学校の開校が許可されだしたのです。

そして新しく開校をする「柔道整復師」専門学校へ入学ができるかもしれない…
そんなお話が聞こえてきたのです。

会社を退職時に受験をしながら、ひとつも合格できなかった鍼灸専門学校。
その時に思い知ったこと。
医療系専門学校入学に必要な金銭的、またコネ的な隠れた当時の条件。
それもなんとなく今回は緩くなったもよう…。

ひとつ、ここでまたやってみようか…
「柔道整復師」の専門学校を受験してみようか…

でも3年もかけてカイロプラクターの養成校を修了、そして今があるのに…

サラリーマンを辞めて、もう5年が経っていました。

つづく

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