カイロプラクター Y の時代を振り返る ♯1

人生を振り返る忘備録

前話にてカイロプラクティックの学校、3年間を修了しました。
卒業をしてもしばらくは、鍼灸整骨院でのまさしく修行を続けておりました。

サラリーマンを辞めてから3年。
私はここで自営業としての一歩を踏み出すことになるのです。
税務署さんにも開業届を提出。

鍼灸整骨院勤務のかたわら、カイロプラクターとして働きだす決心を。
ですが、カイロプラクティックの学校に行くための学資金を借金返済をしている身。
とうぜん、カイロプラクティック院を構えるような資金もありません。

しかしここでもと会社員としての経験を活かすのです。
資金なき時に小さく経営していく方法は、まず固定費を最小にすること。
つまり、毎月支払う経費を小さくする。

人件費 … もちろん誰も雇うことなく一人で働く。
賃貸費 … どこも店舗を借りることもできません。

それなら…

よし、出張専門のカイロプラクターで始めよう!

大阪市住之江区には、無人モノレールのニュートラムが走っています。
当時の自宅もその路線上に。
そして同じ路線のある駅、その駅周辺には大規模な集合住宅がひしめく駅があるのです。

公団住宅、大型マンション群…

乗用車さえ所有していない。
まして交通費でさえ経費としては節約したい、いやせねばならない!

なので、このP駅周辺限定、出張専門カイロプラクターとして自営業者を始めたのです。
P駅周辺の広大な敷地。
そこには約2万人の住民がおられる。
ですが、その敷地内のほとんどは、車の通行が禁止となっているんです。

そんなP駅周辺専門で開業しようとしても、そんなこと誰も知らない。
当時はインターネットさえ存在しません。
まして新聞広告などを出す費用もままならんぞ(笑)

ならなら、よし!P駅周辺の無料掲示板を利用です。
そして、もっとも原始的な広告。
数限りなく思えるマンションや公団住宅のポストに手作りチラシを配っていきます。

まだウィンドウズ95の時代。
ですが、この頃からパソコンとプリンタ、スキャナーを微々たる経営資金の中から購入。
当時の大型テレビのようなパソコンだけで30万円ほどしたことを覚えています。

でもこれからはパソコンの時代!
なんとも、サラリーマン時代の経験が財産でした。
今思えば、現在もパソコンやインターネットをこなして経営しているのは、この時があったからこそ。

こうして自力でチラシや名刺を作成して、コツコツと宣伝活動。
そして携帯電話さえまだ普及していない1997年。
ご存知ですか?
それより以前から存在した PHS という小型の電話機を。
PHS ピーエッチエス、ピッチと呼んでいました。

これを購入して、チラシ上にはこの電話番号を「出張専門カイロプラクティック院」用に。
地味な宣伝活動をしても、なかなか電話は鳴りません…(泣)

それでも元営業マン。
ツラかった会社員時代、千葉での営業と比較すれば楽なもの。
来る日も来る日もさっぱり新規営業の努力も実らず、物まで投げつけられた日々。
結局、また会社員の経験が助けでした。

こうしてしばらく何の宣伝効果もなく、ですが止めることもできない。
我慢の日々はしばらく続きます。
どんな自営業でも同じことでしょう。
こんな時を越えねば先はありません。
最初から順調な開業なんてありえない!

よくわかってるぞ!
なんせ、これから先のこと。
Y、日本とニュージーランドの両国にて、6度ほどの開院や起業を経験することになるのですから(笑)

(しばらくブログ内容に適当な写真、当時の写真もありません。どうかお許し下さい。)

#2 に続く。

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