振り返ると、カイロプラクティックの学校#3

人生を振り返る忘備録

早いもので会社員を辞めてから2年の月日が過ぎました。
前回の#2においては、カイロプラクティックの学校における2年をお話。
今回は最終年となる3年目を振り返ろうとしています。

時をもどそう!
でもペコパほど、それは簡単ではない(笑)
頑張って遠い記憶を探ってみます。

勤労学生として3年目を迎える時、ひとつの大きな決断をします。
会社を退職後の2年間、寝る暇もなく夜勤をしてきた食品工場を辞めることにします。
もうツラくてギブアップしたわけでもありません。
製造業は大好き、食品工場の業務も嫌いではありませんでした。
事実、もうすでにブログにしました。
しゃにむに働いた食品工場時代の時代を取り戻すべく、22年後に再び短期就労をします。

なぜにここで製造業を離れたのか。
それはまず忘れずにある自分の夢、「トレーナーとして大きなチームで働く!」
それがために。

残念ですが食品工場勤務は、その夢に直接つながるものではありません。
(その後の人生には大きく影響をするのですが…)
なら少しでもその夢にプラスとなるように。

もうひとつの理由は。
カイロプラクティックの学校も3年目ともなれば実技の時間も増える。
実技の時間も学生同士で手技の練習をこなします。
ですが、やはり学生同士では真剣度もなく、物足りない。
このまま3年を過ごしても、徹底的に実技経験が足りない。
患者さんを相手に施術をすることすら遠すぎる…(泣)

ということで、新たに選んだ仕事は「鍼灸整骨院」勤務。
鍼灸師・柔道整復師の助手として働くのです。

学校が終わった平日の夕方4時前から夜9時過ぎまで。
土曜日は朝8時から午後2時頃までの勤務時間。
食品工場の夜勤時代よりは、人並みに睡眠時間が取れるようになりましたね(笑)

勤務先となる「鍼灸整骨院」ですが、広さはとっても狭い。
狭い中に5つほどの施術用ベッドが並びます。

ですが、まさしく施術時間は戦争状態。
次々と患者さんが訪れる、まさしく大繁盛の整骨院でした。
もちろん柔道整復師(以下、柔整師)の先生の人柄や技術が素晴らしかったからです。

先生の施術方針として、まず3分ほどのマッサージをすべての患者さんに施します。
その役目を任されたのが、はい、私です!

もう間髪入れずに次々とマッサージをしていきます。
マッサージの指導は厳しく、時に患者さん役として先生のマッサージを受けさせていただく。
常連の患者さん相手にまさしく事細かに…

最初の頃はコツも体力もない。
そうなればマッサージのスピードも落ちていく。
すると先生から注意が飛んできます。

やはり食品工場時代と同じく、我慢!根性!が必要でした。

ですが、当時すでに私は30歳前。
高校卒業仕立てでもなく、社会人バリバリの時です。
ツラい時ながら、やはり数多くの患者さんを触ることができる意味。
それをしっかり理解していました。
指先の感覚を養うには、数をこなす!
患者さんに対して表現はよくないのですが、やはりそれに尽きるのです。

柔整師さん、トレーナー、カイロプラクターにしても頭でっかちで理論尽くめの方が多い。
ですが、どんな世界でも経験豊富な方に勝ることはありません。
脱サラ2年であっても、そんなことはわかっていた自分。
もう必死でこなしていきます。
整骨院内にはエアコンもなく、夏は数台の扇風機のぬるい風が頭上から。
今も昔も暑さにとことん弱い自分。
(北海道小樽市 x 飛騨高山 = 私の遺伝子)

いつの間にか、施術中には頭に汗止めのヘッドバンドをするのが癖となっていました。
汗を拭う暇すらなかったから。
(結局、それからずっとこの癖は抜けませんでした 笑)

今でも記憶にあります。
真夏の土曜日午前中、特に土曜日はとんでもなく忙しかった…
その土曜日午前だけで、私は50人の患者さんをマッサージしました。
1人3分、うつむきで背中側のマッサージを終えると、仰向けになってもらいマッサージを終える。
ですが、ずっとマッサージをし続けると、もう患者さんが誰なのかも理解せずにこなしていました(笑)

そんな経験を重ねるうちに、自分でも指先の感覚が向上していくことがわかります。
マッサージだけでなく、柔整師の先生が必要と判断すれば、時にカイロプラクティックの施術を任せられることも。

カイロプラクティックの専門学校、最終年も大切な経験を重ねながら過ぎていきました。
学校は座学も実技もそれなりの卒業試験。
卒業試験は無事にクリアです。
もちろん卒業証書もいただきました。
ですが、その後に国家試験があるわけでもありません。
「私はカイロプラクター」
そんな意識も強いものでもないながら、カイロプラクターとして生きていけそうです。

スポーツトレーナーとなる夢への道はまだ見つかっていません。
ひとまずきっとこっちだろう…
そんな方向にひとまず歩いてみる…
そんな卒業の時を迎えた、脱サラ3年後でした。

カイロプラクターとして生きていく自分が次回から始まります!

 

後日談。。
それから12年後ほどのことでしょうか。。
ニュージーランドにいた自分は、永住権ビザの申請に向けて準備を頑張ります。
日本で卒業をした高校以後、すべての卒業校の成績証明書が必要となりました。
カイロプラクティックの学校にも、無理をお願いをして英文の成績証明書を作成していただきました。

とっても優秀であった私!(笑)
いただいた英文の成績証明書内、ほとんどの科目の成績は「Good」。。

ただ、「Good」 のはずの成績。
なぜか、すべての「Good」 の o(オー)がひとつ足りなかった。。

結果として、私の成績ほとんどは、「Good」でなく「God」!?
そう、成績証明書には、「God」が並び、神様級の優秀な学生であったことが証明されたのです!?(笑)

ニュージーランドにおいても、残念ながらこの学校の卒業は、永住権申請上の学歴としては認められませんでした。。
神様級でもダメだったようございます(笑)

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