振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #1

人生を振り返る忘備録

サラリーマンを辞めてから5年。
カイロプラクターとしてやっと安定した生活ができるように。

前回のお話をしました。
突然に「柔道整復師」の専門学校に入学できる可能性がおとずれたのです。

忘れずとも、心の底に収めていた夢。
「大きなスポーツチームで、トレーナーをすること!」
鍼灸専門学校を受験しながらも、全校にあしげにされたのが5年前。
結果としてカイロプラクティックの養成校に3年、夜勤の食品工場で従事しながら。

そしてカイロプラクターとして自営業者の道をスタート。
そんな年月を送りながらも、どこかで引っかかっていたひとつの夢…

せっかく順調にカイロプラクティック院を経営していたのですが。
あだとなったのは、やはり落ち着きなく安定を良しとしない性格(笑)

どうしようと考えながらも正解は存在しない。
正解が存在しないのなら、考えて時間を無駄にするより、まずやってみようぞ!
アホな性格の自分は今も昔も変わらず…

まずせねばならないのは、受験勉強かぁ…
柔道整復師専門学校の受験科目は、「国語」「生物」だったように記憶…
もはや定かではないのですが、とにかく「生物」の勉強をした覚えがあります。

5年前には鍼灸専門学校を3校受験しました。
それからカイロプラクターとなりましたが、何の医療系国家資格を要しません。
ですが、地元の中高校ではトレーナーとして活動歴を積み重ねてはいました。

その経験により知ったこと。
まずトレーナーとして活動をしていくには、「鍼灸師」より「柔道整復師」の国家資格の方が有用。
それを感じつつも学生たちを相手もトレーナーをしていました。
ここで柔整の専門学校入学の可能性がおとずれたことは運命?

こうして今回は新設された「柔道整復師専門学校」を受験です。
もう受験の記憶は消えております(笑)
ひとまず「合格」の知らせはいただきました。

あれほどに鍼灸専門学校受験では得られなかった合格の結果です。
当時より学力が上がったのでは間違ってもありません。
変わったのは、国における医療系専門学校に対する状況です。

受験条件のひとつだった推薦書の提出。
その推薦書を書いていただいた先生から、お話が。

また学校に対する寄付金のお話でした…
またかぁ…
合格はしたけど、「入学通知」はまだだもんね。。
5年前と同じ?

鍼灸専門学校入試の時にも一度あったお話。
当時の寄付金として求められた金額は、〇〇〇万円。
サラリーマンとしての年収ほどの額、諦めるしかありませんでした。

今回、求められた寄付金としての額は、〇〇万円。
サラリーマンの月収ほど。
納得するはずもなく、でも仕方なし。
捻出することはできる範囲の金額です。
先生を通してお支払いをしました。

きっとこれは昔の悪しき名残りが当時もあったのでしょう。
現在はきっとこのようなこともないのでは、と思います。
知らんけど(笑)

正式に「合格通知書」と「入学許可証」を手にしておりました。
その後、新設校受験のお話をいただいた先生の整骨院にご挨拶。
整骨院内の壁に飾られた額縁には、寄付金にたいする感謝状が…

なるほどね~
と、静かに冷めた心の声。。

まぁ、よい。
あのままカイロプラクターとしてずっと生きる道もありました。
良いか悪いかなんてわからずとも、まず時の流れに身を任せてみました。
有名な歌詞のようね(笑)

何はともあれ、自分が選んだ道です。
再び? またまた?
勤労学生です(笑)

朝からカイロプラクターとして施術の日々。
少し早くなった、午後4時の閉院。

滋賀県の田舎から大阪へ通学。
片道2時間…
「夜間部・柔道整復師科」に入学です。
3年間の専門学校生となったのは、30代前半のこと。
今思えば、まだ若かったのね(笑)
まだまだ落ち着くことない人生が続くとは、露知らず。。

#2 につづく。

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