振り返ればまた学生? 柔整専門学校 #7 最終話

人生を振り返る忘備録

昨日の#6に続き、連続投稿になります。
このお話にて、「柔整専門学校」時代の振り返りをしめよう。

昨日のお話、アメフト・トレーナーの研修生として、新たな経験を積むことになりました。

ですがトレーナー研修生の前に、私はまだ専門学校3年生。
そして卒業前の学科試験、実技試験、そして柔道のテスト。
これらをクリアをして卒業が決定。

卒業が決まれば、柔道整復師免許の国家試験の時がきます。

このお話は「学びと資格」シリーズの中でお話をしようかと思っていました。
でもここで、してしまいましょう。

国家試験の受験会場。

関西大学天六学舎(今はすでに存在しません。)
写真は校舎が解体される前に撮影した写真、昭和初期の趣きが…

なんとも不思議な感じで。
私の母校で国家試験受験になります。

吹田市の千里山キャンパスから離れた、大阪市街の天六学舎。
大学生として、法曹界を目指し勉強をしていた当時…
法律相談業務のお手伝いをしたこともある、思い出深い校舎でした。。
今は跡地に記念碑がたたずんでいます。

縁の深さ… なんともまぁ

まさかに柔道整復師の国家試験を受けるようになるとは…
国家試験当日、懐かしさいっぱいで古い教室に入ります。

性格上、それほど緊張することもなく。
2日間の試験を終えます。
試験終了すぐ、まぁまぁの手応えをすでに感じていました。

ですが…
最終科目の解答用紙が回収された後…

あれ、解答用紙に名前書いたっけ?
急に不安になる私…

受験生がみな退場する中、受験票を提示しながら試験官に聞きます。
「すみません、自分の名前を書いたのかどうか、覚えていないのですが…」

試験官は無言で集めた解答用紙の束を確認。
そして、何も言うこともなく、ニコッと笑顔だけを送ってくれました。

国家試験の記憶は定かでなく…
ですが、そんなことをしっかり覚えているんです(笑)

母校で国家試験受験後、合格発表を待ちます。
トレーナー研修生として、カイロプラクターとして忙しい日々でした。

合格発表は、厚生省のホームページで。
滋賀県の行きつけだった喫茶店(当時はカフェともいわず)。
ノートパソコンをテーブルに置き、一人、発表時間を待ちます。

発表時間すぐに、合格者の受験番号が並ぶページを開く…

自分の受験番号を無地に見つける…

合格したな…

サラリーマンを辞めてからすでに8年。
その間、カイロプラクターの養成校に3年。
柔整師専門学校に3年。

6年間も勤労学生をしてしまった。
やっと、これで学生も終えることができる…
柔道整復師免許を得た喜びよりも、そんな日々の終わりにホッとしたことを覚えています。
当時、すでに30代半ばの自分。

その先に…
まさかニュージーランドで留学の地獄が待っているとは…(笑)
そして懲りずに国家試験をあと2回も受験する、おバカさんでもありました…(泣)

次回からこのシリーズ最終章、「トレーナー時代」が始まります。

ニュージーランド留学は、ヨッテコット。お気軽にご相談を。
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