ワールドカップ直前!NZラグビー in 2007

その日の日記

もうすぐ開催、ラグビー・ワールドカップ 日本大会。
その前に私がニュージーランドにて触れたラグビーを振り返ってみようと思います。

それにしても、日本の酷暑でのラグビー、大丈夫なのでしょうか?
ラグビーは寒さに耐えて観戦するイメージしかありません。

ご存知のとおり、ニュージーランド移住前、私は日本でメディカル・スポーツトレーナーとしてアメリカン・フットボールの世界にいました。
(あっ、どなたもご存知ない?)

2007年

そんな私が何の因果でしょう、ラグビー王国であるニュージーランドを選んで語学留学をしたのが、2007年。
このお話は、『語学留学体験記』をどうぞ。

その語学学校も、ニュージーランドを代表するスポーツ専門学校の付属語学コース。
そのまさしく登校初日、まったく意味わからないまま、学校の先輩が学校に訪れて講演会があるらしい。
会場は学生でいっぱい、その先輩は髭面のずんぐりむっくりのお兄ちゃんです。

さっぱり何を言っているかもわからず、ただただ語学学校初日を授業も受けずにちょこんと座っておりました。
後にわかったこと、この髭面のお兄ちゃん、ピリ・ウィプー(Piri Weepu)。
2011年のワールドカップでは怪我人続出のオールブラックの救世主として大活躍をした英雄。
まさしく、ニュージーランド初日からラグビーとの関わりがありました。

語学学校生活を送っていると、学校には日本人、イタリア人、そしてkiwiのラグビー選手がいっぱい。
日本時代には、ほとんどラグビーとのかかわりもなく、興味も薄かったのですが、ニュージーランドという国での影響がじわり。
私もラグビー好きになります。

なぜにこの小国が世界でも君臨するラグビー王国なのか。
否が応でもわかってきます。

環境がすごい、それも作られた環境ではありません。
もはや文化、日常生活に溶け込んでいるラグビー。
物心ついたガキんちょから、ご老人まで各レベルのチームが各地区のラグビークラブに存在。
オールブラックスを頂点にして、しっかりピラミッド型の組織が一貫した方針のもとに出来上がっています。

そしてその専用グラウンドも尋常ではない大規模。
もちろん全面芝生。
日本の実業団チームの専用グラウンドを、地域のラグビークラブのそれが軽く超える広さ。
これを見た瞬間、『これは日本、一生勝てんわな。。苦笑』

毎週末、日本人語学学校生も所属するクラブチームのゲームを観戦するようになります。
ニュージーランドでは、テーピング技術はほぼ皆無、スポーツマッサージもできる人間もいない。
そのうち、プレーヤーのサポートをする機会もあったりします。

そんな帰りに、寮まで乗せていってやるよ、と声をかけてくれたおっちゃん。
後から、そのおっちゃんが元オールブラックスだとわかったりします。
身近にヒーローが歩いている…

そう、この国はわかりやすい。
オールブラックスのプレーヤーがヒーローで、子供たちの憧れ。
キャプテンを務めたり、ワールドカップで活躍すると、引退後も英雄視されるのです。

日本の強豪高校チームや、クラブチームが遠征で訪れ、NZのチームとゲームの機会を得ます。
日本では強豪であっても、ゲームが始まると、あら、あら、これは…

日本の小さいプレーヤーがタックルされ、空中で回転して壊れる。
それがいたる所で同時に起きたりする。
まるで戦争映画のように、クルクルと人が空中で吹っ飛ぶんです。。

一度、日本では強いと聞いていたクラブチームの遠征ゲームを観戦。
なぜかチームトレーナーの帯同もない。
ゲーム始まった瞬間に、怪我人続出。
仕方なくゲーム開始すぐから、観戦どころではなく臨時トレーナーとしてグラウンドに。
ずっと走りまわるトレーナー、プレーヤーより運動量多いトレーナー。
結局、ゲーム途中で捻挫数人、脳震盪が次々、鼻骨骨折も。

この国のレベルの高さをヒシヒシと痛感する1年目を過ごすことになりました。

そして同時にウェリントンのプロチーム、ハリケーンズをこよなく応援していたり。
これはニュージーランド在住13年となった今でも、ハリケーンズファン!

随分昔のこと、何も深く考えずに、オークランド(NZ最大都市)で、ハリケーンズのレプリカユニフォーム着ていると。。
いたるところから罵声、笑っていじられる。。

そうね、大阪で読売ジャイアンツのレプリカユニフォーム来て歩いているようなものでした(笑)

こうして日常生活にラグビーがあり、ハリケーンズ、そしてオールブラックスのゲーム観戦が楽しみになっていました。

(2011)に、続きます。

ニュージーランド留学は、ヨッテコット。お気軽にご相談を。
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