日頃、ニュージーランドではマイノリティの毎日。
つまり欧米人やマオリの中に混じっている少数のアジア人。
そして日本に帰れば圧倒的マジョリティに。
絶対的多数の日本人に混じる人。
ニュージーランドにいると日々自分が日本人であることを意識して生きている。
ただまわりにすれば、日本人なのか中国人なのか、それとも韓国人であるのかは区別がまったくついていない。
日本人からすればアラブ人の中の区別や、欧米人を見てもそれがどこの国なんてわからないのと同じこと。
日本にいれば日本人であることなど意識する必要がない。
ただどうもそれがしっくりこない。だから何だと言われてもこまるが、これが生活をしていると違和感として感じてしまう。
そんな必要もないはずなのに、環境が変わっても、ニュージーランドに生きている時と同じように、
日本人のよいところ、かわった点、不思議さ… どうもそれを考えてしまいます。
ん~、浮いてるわぁ、見た目はどうあれ、異質な存在なのではないかと感じてしまいます。
何か日本人のよいところを忘れ、日本人にない性格が顔を出しているのではないか。
まぁ、おっしゃる通り、もともと浮いとるし、変り者。
何ともまとまりのない文章だわ。
何が言いたいのか。
偏差値は存在せず学歴社会のない、職業で人を判断せず、もちろん会社の大きさや有名さなど何も人の価値とは結びつかず。
競争の圧倒的にない社会に生きると日本人ではいられないのでしょうか?
人をうらやんだり、いじめたりすることは少ないニュージーランド。
世間体という存在しない目を意識しないため、ある時はただただ面倒な人間性がみられるkiwi。
そんな感じで生きる国民は、おおらかであり、いい加減。きっちり日本とは大違い。
そうかぁ、人間性の「いいとこ取り」は難しや。
誰もが持つ二面性、「良い面と悪い面」の判断、ニュージーランドに住む日本人はどうも2面だけでは済まない複雑で面倒な人間になりつつあるかもしれない。
何のこっちゃですみません。
ですが、海外に住むことが長くなると、こんな状況があるのかもしれません。
次はもっとためになるお話を!
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