会社員になった時 を振り返る

人生を振り返る忘備録

前回のお話まで、無事に大学を卒業。

そして4月、晴れて社会人のスタート。
入社前に、4年間住んだ吹田市を離れ、会社の寮がある大阪市大正区に引っ越しです。
この寮が、取壊し直前のボロボロ… 吹田のワンルームの方がよほどよかったのですが。
それも配属場所が決定するまでの仮の宿です。

気慣れないスーツ、そして首からネクタイなるものをぶら下げる毎日。

以前のブログでのお話の通り、東京で働くきたくない理由もあり、大阪本社の会社。
毎日、大阪地下鉄で会社通勤、あら懐かしい。

今も昔もそう変わることのないであろう、新入社員研修が始まります。
正直、研修内容はほぼほぼ覚えていません。
与えられたテーマを、同期社員と日々こなしていく。
途中でなぜか数学のテストを受けたことは覚えております…
(後々、このテストが問題になるとは…)

社会人になろうとも、急に性格が変わるわけでもありません。
たいしてアピールするわけでもなく、ですが静かに状況と人間を観察。
けっこう深く人間を見る、面倒そうな人間関係はすぐに逃げます(笑)
いえ、相手が逃げているのか?

まず思ったこと、人事課の仕事は本当に大変そう。
何も仕事ができない新入社員を相手に笑顔で対応。

「一度、人事の仕事も経験したかったな!」
と今でも思うことがあります。
その後、あまりの自分の人望のなさが、人生を難しくしてしまった面も大きくあります。
人事の仕事を経験していたら、少しは違っていたのでしょうか…
いやいや、そんなことはありませんね(笑)

さて研修といいながらも、人事課の職員の方々は、日々各新入社員の適応、性格、人柄を見定めているのもよくよくわかります。

ここでアピールして即戦力判断されるなら、大阪本社勤務になるのだろうな~
さてさて、自分は大阪本社勤務はないな。

そうなると、どこに配属をされるのか…

もともと色々な経験を積みたかったのも事実。
そしてこちとら田舎なしっこ。
もうすでに22歳までに、10回ほどの引っ越しを経験ずみ。
ここで大阪を離れることも自分には必要かもね。

普通に考えたら名古屋、もしくは静岡が有力候補。
でもどうせなら住んだことがない、四国や九州もいいな~
釣りできるかもしれんし~ って、ほぼ『釣りバカ日誌』の世界(笑)

性格なのか当時もまったく不安などなく、逆に旅に出る前のようなドキドキ感さえありました。

そして配属先が決定し、社長から直々に辞令が手渡される日が訪れました。
順に呼ばれながら、配属先が発表されます。

H 福岡支店の配属を命ずる!
(お~ 地元にそのまま配属かいな~ 順当)

O 大阪本社の配属を命ずる!
(やっぱり、あやつ営業の即戦力ぽいわな。)

T 名古屋の配属を命ずる!
N 名古屋の配属を命ずる!
(あれ、すでに2人も名古屋勤務?自分はなし?)

A 静岡の配属を命ずる!
(あら、静岡でもないのね。)

さぁ、出番でございます。私の辞令が手渡されます。

Y 東京支店の配属を命ずる!
(んっ、え?うそゃ? これ人事課、自分が東京イヤで大阪本社の会社を選択したのも知ってるわな!)
辞令を受け取る瞬間に頭んなかをグルグル、そんなことが走ります。

それが顔に出ていたのでしょうか…
辞令を受け取った直後、人事課のIさん(Sさんではないですよ(笑))からお声がかかりました。
「そんな、怒るなやぁ!」

今でもなぜかその言葉が深く印象に残っているんです。
別に当時怒っていたわけでもなく、ただただ想定外すぎる展開で。

名古屋を離れて大学も大阪を選び、就職も東京を外して大阪本社の会社に就職した私。
かくして、東京支店勤務の辞令を拝命いたしました。

会社員となり、毎月給与をいただく雇用契約をするという意味…
それは、日本国憲法22条における「居住移転の自由」を放棄するということでもあるんですね。

なるほど、行ってやろうぞ!
「居住移転の自由」がない間に色々な経験をつみ重ねて、はては憲法22条をとことん謳歌してやろう!

そういえば、日本国憲法22条、「居住移転の自由」の他、
「職業選択の自由」も
「外国への移住の自由」の規定もありました。

まだこの時には、ここまで22条をしっかり履行をする人生になるとは、想像だにしていない法学部卒のアホでした(笑)

この後、辞令受けながらもなぜかスムーズに東京支店勤務もしない、面倒な色濃いサラリーマン生活が本格的に始まります。

つづく

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