製造工場勤務、振り返る時なんだ… その2

人生を振り返る忘備録

毎朝、S部長のケツキックから始まる日々。。
慣れない現場において、1200度の赤い鋼におびえながらも格闘する毎日を、前回『その1』でお話しました。

さて時はバブルの真っ最中。
実は翌年にバブルが弾けるとは、私も誰も知らない。。

異常な忙しさの鍛造工場。
製造量、その前段階の見積りも尋常でない量でした。

現場作業は定時まで。
当然のように定時で寮に帰ることができた研修は、遥か昔のように。。
定時を過ぎ夜になると、また異なる業務を言い渡されたのです。

それが『製図』との出会いでした。

『鍛造図面』と呼ばれる、完成品を基に鍛造品を製作するための図面を描きます。
超大雑把にいえば、完成品のまわりに鋼を糊付けした物が『鍛造品』。
その『鍛造品』を精密加工していくと完成品になります。

この頃はちょうど、手書きからキャド(PCを利用して製図)への移行期。
手書きの製図に欠かせない、『ドラフター』をみなさんご存知でしょうか?
斜めに傾いた製図用のデスク、『ドラフター』に向かい、製図用シャーペンにて黙々と作業。
『ドラフター』を検索していただいたら、あれね!とイメージしていただけるかと。

新入社員なのに、こんな専門的な作業をしていいのだろうか…
と悩む暇も許されず、短期間に次々と叩き込まれる。
すぐに放置され、仕事を渡され、わからなければ聞け!スタイルで。
全国支店からの見積り依頼、電話帳ほどをドン!と渡されます。

製図担当の先輩も、新入社員だからと丁寧に教える暇もない超多忙。

ここからは、少しの間だけ謙遜なしにお話をします。
私、すぐに戦力となりました。
どうも性格なのか、この製図作業がとても向いていると自分でも思っておりました。

早朝から定時までは、過酷な現場作業。
それが終わると毎晩、深夜まで製図作業。

つい1年前までは法曹の道を志し、それを断念するも、法学部を卒業。
それがなぜか、製造工場にてドラフター相手に黙々と図面を描き続ける。。

この時に得た技術、これから後の将来、そして現在においても有益、私の人生に大きく影響を与えてくれます。
何かを製作しよう、製品でなくとも住宅図面であっても、手書きであろうともPCを利用しても製図技術が役立っているのです。

逆に失ったこともあります。
それが『視力』…
ずっと遠視気味の両眼視力2.0。
それが製図作業をこなしていくうちに、気付いたのです。
段々と事務所の遠くが見えにくくなっていく。。
図面上において、0.1mmの世界を、通常より細い製図用シャーペンにおいて表現していきます。
そして初めてのメガネを必要としたのがこの時でした。

これ以降の人生、ずっとメガネもしくはコンタクトなしには生きていくことができなくなったのです。

何かを得ようと思えば、何かを失わなければならない。
これはどんな時にも同じこと。

仕事に忙殺されながらも、悩みがありました。
社会人になってすぐ、これから色々な経験を積みたいがために選択した会社。
働いているのは、その選択した会社でもなく、グループ製造工場。

もしかしたら、自分は天職をもう出会ってしまったのかもしれない?
この作業をこれから続けることになっても、楽しい仕事ができる!?

ここで早くも始まったばかりの社会人生活を、思いがけない場所で、想像すらしていない仕事をし、まだ何の色々な経験もせず。。
でもこのままでも幸せかも…
それに答えを出す暇もなく、目の前にある見積り依頼をこなしていく毎日は続きます。

全国の先輩営業マンが私の図面が出来上がるのを待ち、それをもとに見積りを相手先に提出するのです。
どの見積りも超特急を要求される。
どれを優先して製図していくのか、その決定権を新入社員が握ってしまう、異常な忙しさのバブル。
会ったこともない、お顔も知らない営業マンの先輩から私あてに電話がくる。。
「Y君!お願いだから私の図面を優先して、すぐに仕上げて~!」
「今度ごちそうするから、この図面を先にやってよ~」
そんなん言われても~(涙)

ですが、同じ事務所に机を並べる製造工場の営業担当者さんからの直々の見積り依頼には対応が私も違います。
営業の大先輩、普通のサラリーマンには到底見えない眼光。
見た目はあちら側の方のよう、メガネも細くて切れ上がった金縁。
おっそろしいのです。
そんな方から、言われる。
「Y!これを描け」

こう言われたら、全国の見積りを吹っ飛ばして、最優先!
「はい、了解しました!!」

この瞬間に、電話をしていただいた諸先輩、営業の方々が泣きをみていたのでした。。
今だから、懺悔です(笑)

つづく、製造工場編。

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