第15話 ニュージー専門留学 序盤戦と日本人

Yoshiの 留学 体験記 〈 完 〉

前回14話にて、入学早々から論文作成に悪戦苦闘している姿をお話しました。

そして時間とともにニュージーランドでのポリテク留学生活に慣れ。。
いえ、慣れるような暇すらありません。
ひたすら目先の課題をこなす、そんな日々を苦しみ生きる。

授業に出席をし、論文に必要な情報を何とかつかみ取っていく。
英語はわからないものとわかっているが、悩むことも許されない。
ただ英語のみを学ぶ時は過ぎ、専門的分野の準備段階をひたすら進む序盤戦です。

もちろん授業はすべて出席。
大学時代のような、たまに寝坊したとか、どうしてもアルバイトの影響で出席しないなど。。
そんなことは考えられない、それに授業1コマ分の費用だってkiwiの4倍。

授業中は必ず最前列に座ります。
日本の大学時代にも留学生は学部にいました。
その時、必ず留学生は最前列に座っていたのを思い出します。
当時、「留学生は真面目やな~」 ぐらいにしか思っていませんでした。

ですが、自分自身が留学生の立場となると、必ず最前列に座らないといけない理由がわかる。
講師の言っている言葉を何とかつかみ取ろうとする、必死で英語に集中!

結果、姿だけを見れば、『あの日本人はいつも真面目で、授業に集中しているやん。』
そんな風にkiwiは見ていたのでしょう。
自分の大学時代に留学生を見る目と同じです。

その授業中、真面目に見える留学生Yの頭ん中は…
『さっぱり何言ってるのかわからんわ~、どないしょー(泣)』

日本語が飛び交っていることも知らず、真面目そうなYoshiは、講師にもよくよく当ててくれるんです。。
「はい、Yoshi答えて!」
なん?何聞かれてるかもわからない。
そんなことを横で理解している2人、オレグとチーが助けてくれる。
小声や文字で教えてくれる。
登校拒否しないだけでも、頑張ってたわな、と今では振り返る当時のこと。

そんな学生生活が1か月、2カ月となると、気付くことがある。
新学期にいた36人、だんだん、違う、週ごとに人数減ってないか?
どうもつらいのは留学生だけではないらしい。
kiwiの学生だってつらいのよ。
特にスポーツコース、脳みそ筋肉でもある。

17歳の坊主いなくなったな~
カップルで入学した男女、2人とも最近授業にこないし。。
そんなこんなで早くも脱落していく。
と、思っていたのですが、kiwiは中退とか、脱落などとはさっぱり考えていないようです。

自分に合っていない、学びたいことと違う、そう思ったらすぐに変更。
違う道に進むことは極々普通のことのようです。
そういうことには、まったく躊躇しません。
そこは日本人とは違う。

さて、当時EITの学生は9,000人ほど在籍していたはず。
語学コースを除き、専門課程に在籍していた日本人留学生は、きっと私を含めて5人ほどでした。

中国人、インド人、韓国人、アラブ人と比較しても日本人留学生の少ないこと。
ほぼいないのと同じ、泡沫のような人数です。

ワインコースに3人。
幼稚園教諭コースに1人。

自分以外、全員女性。
現在、留学エージェント業務をしていてもわかります。
留学する大人の日本人、女性の方が圧倒的に多いのです。

日本から遥か彼方の南半球の底にある小国でのお話。
その国でも最大都市のオークランドでもなく、首都ウェリントンでもない。
中堅都市ネイピアなんて所にあるポリテクに留学した、社会経験豊富な日本人たち。

自分も含めて、間違いなく普通の生き方している日本人ではない。
全員、くせの強い人間ばかり。

この留学序盤のうちは、広いキャンパスで偶然会うと、何とも嬉しい。
日本語で会話ができるだけで救われる気持ちでした。

幼稚園教諭コースの彼女は、ほぼ同年代。
彼女は京都大学法学部卒業。
同じ法学部出身である話になった時に、彼女の言葉が忘れられません。
「一緒やん!」
いえ、いえ、京大法学部と関大法学部は、けっして一緒じゃない。
けど、まぁ、17,000㎞も離れてしまえば、同じようなもんか(笑)

あれから12年ほど経過した現在、彼女はウェリントンの大学で博士課程に通学しております。

結局、ワインコース3人も含めて、EIT留学時代、それを終えてからもけっこうな長い付き合いとなりました。
ワインコース3人それぞれの現在、日本帰国1人、ドイツ人と結婚してドイツ移住1人、未だにこの近くで生きる1人。

みんなそれぞれにEIT留学、濃すぎる苦闘の1年を共に過ごしたのです。
またお話することもあるかと思います。

つづく

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