振り返る最後の半年、退職前 その4

人生を振り返る忘備録

前話の「その3」のお話では。。
阪神・淡路大震災を経験後に、ボランティアで通うカイロプラクティック院。
鍼灸専門学校への入学がままならないことも重なり、先生の推薦でカイロプラクティック専門学院への入学が決定します。

その決意が正解かどうかもわからず、ただ何かに導かれるかのように進む道。
(宗教っぽい表現だな 笑)
結果、ひとつの誤算が生まれます。

鍼灸専門学校に進むと思っていたため、その入学金とひとまずの授業料などは、政府系金融機関で教育融資を受ける予定でした。
当時は「国民金融公庫」、「国金、こっきん」と呼ばれていました。
この国金を訪れ、カイロプラクティック専門学院に行くための融資相談をする。
ところが、これが文部省認可の教育機関でないために、融資を冷たく断られます。

困ったもんだ…
といっても、今さら道を変えることもできない。
仕方がなく、会社のお昼休みに会社近くの銀行にて融資相談を。
こちらも同じようにお断りを受け続ける。

それはそうです。
相談内容が、今の会社を退職して文部省認可でもないカイロプラクティック専門学院に行く。
そこには、なんの信用もなく、これから返済できる可能性すらも存在しない。

ですが、ただひとつの銀行だけがお話を熱心に聞いてくれました。
現在は合併により消滅、存在しない都市銀行、F銀行。
日本一高い山の名前、そんなF銀行でした(笑)

初回に相談すると、では次回は〇日に来て下さい。
これが続く。。
その度に相談相手が変わります。
聞かれる内容は融資と関係なく、退職後の夢なども…

そして4回目だったでしょうか。
「わかりました、教育融資としてお貸ししましょう。」
とっても嬉しかったことを覚えています。
何の担保もなく、これから会社を辞める人間への融資です。
これがひとつめの学校へ行くための借金となりました。
(こののち、あと2つ、教育資金として借金します 笑)

月々コツコツと返済をした結果、5年後に完済。
完済の当日、F銀行から電話がありました。
「お疲れさまでした。次回も是非当銀行からの融資をご利用ください。」
嬉しくもあり、複雑な心境だったことを覚えています。

これで退職後の入学先も正式に決定です。
そう、そういえば進学先の専門学院。
当時(きっと今も)、国家資格でもないカイロプラクターの養成先。
その学校は、短ければ3か月の通学。
通常が1年ほど、それが普通でした。
その後に、カイロプラクターを名乗り、開業したりするのがよくある道。
つまり文部省(現、文科省)の規制もないので、養成期間も内容も何でもあり。。

ところが私が選んだ入学先は3年制。。
3年制だから選んだわけでもなく、選ばれた学校が3年制だっただけ。
鍼灸専門学校と変わりありませんでした。
その分、よけいに授業料が必要だったのです。
もうこの際、流れにまかすしかないし…
この頃は先の未来、本当にスポーツトレーナーになることができるのか、本当に不安でした。。

阪神・淡路大震災から少しづつ落ち着きだした1月末の会社。
前年の査定と、その1年間の計画を直属上司とお話をする日。

前年の査定は、怪我による休職もあったのですが、甘々の査定結果。
千葉で営業として日々すり減らした時より査定結果が良かった。
なんとも本社業務の甘いこと、と思いつつ、静かにしておりました(笑)

その年の計画について自ら記入する書類を上司がめくります。
そこにはさんでおいたのが、「退職願」の封筒。

一瞬、上司の顔が凍りついたかのようでした。
申し訳なさもありましたが、ここは引き下がることなく3月末での退職を願いだしました。
実は「退職願」を上司に提出したのは、これが3回目だったでしょうか。
過去は、営業職としてほぼ上司と喧嘩状態で。
いづれも退職する暇すらなく、お流れ(笑)

ですが、今回は落ち着いて本気の退職願。
これで、3月末の退職が決定です。

その後、もう一度、病院で左膝の手術を受けました。
左膝の骨内に残るボルトを取り外す手術です。
(抜釘手術といいます、ばってい)
この手術の時には、麻痺もだいぶ回復。
ただ痛みは残り、歩行も明かな「分回し歩行」。
このブログを書いている今も、自分しかわからないほどの「分回し歩行」をしています。
(膝はその後にも手術をしていますが、歩けるだけでありがたいことです。)

通常、抜釘手術は前回と同様に下肢麻酔で受ける手術。
ですが、下肢麻酔を受けると、再び1週間ほどの入院が必要。

もう退職前に、1週間も入院をして休職することが気持ち的に嫌でした。
そこで主治医と相談です。
この主治医が前回のオペを行い、結果として左脚麻痺となったのです。
ですが、このドクターと私には、普通ではない信頼関係が当時ありました。
もう、医者と患者の関係を越えて。
お互いに憎んだり申し訳なかったりの気持ちはなく、お互いに大変、そして貴重な経験をした仲間のようで…
今はお付き合いもありませんが、間違いなくこのドクターも私の人生における大切でありがたい登場人物です。

相談した結果、下肢麻酔ではなく局所麻酔でやってしまおう。
これなら1日入院でOK。
(これをOKしてしまうドクターも、今思えば普通ではない 笑)

さて当日の手術、手術中、ずっと口にタオルを入れて痛みにこらえる。
それはそうです、局所ではほとんど皮膚しか麻酔効きません。
骨にあるボルトをクルクル回すたびに、超激痛ううう!
痛いに決まってる!
叫び声をひたすらこらえる。
でも自分で決めたから仕方がないとはいえ、痛い思い出のベスト3に入ります…(泣)

そんなオペ中、気を紛らわすために先生と会話。
膝は開放、骨がむき出し状態。
「先生、今の会社を退職して、カイロプラクティックの学校に4月から行きます。」
それは聞いた先生は、メスを握る手がすっかり止まります。
「それは俺のせいか!? 俺が看護学校に推薦するから、看護学校に行きなさい!」
けっこう長い説得を受けます、開いては右手にメス握ってるし…(笑)

って、膝膝!痛い~、早くボルト取って!
私の中では、カイロプラクティックの世界も、スポーツトレーナーになるための一歩。
そう思っていたので、もちろん看護師になる気持ちはありません。

でもここで、「はい!」と言っていたら、私は今、看護師だったのかもしれません。
どんな人生を送っていたのでしょう(笑)
不思議なもんです…

もう意地で痛みある左脚を引きずりながら残り少ない業務に邁進。
退職日までの業務というのは、何とも落ち着きない。
そしてまわりの同僚も、腫れ物に触るような扱い。
仕方がないことですね。

こうして3月末日、退職の日を迎えるのです。
私の人生で会社員として生きた、最後の日。。

(洋楽聴きながら書きだしたら止まらず、とっても長いブログに…)

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