食品工場、振り返る 番外編 22年後…#1

人生を振り返る忘備録

前回のお話、その2では、過酷な夜勤の様子をお届けしました。
カイロプラクティック専門学院に通いながらの夜勤は、結局2年間続いたのです。

時は大きく流れ、それから22年後の2017年。
その年はちょうど「国内旅行業務取扱管理者」の国家試験を受験した年。
この様子も最近のブログでお話をしました。

9月の受験も終わり、その合格発表を日本国内で待たねばならない1か月半。
合格した場合、本人が国内で合格証書を受け取らねばならない。
それがニュージーランドに帰国もできない理由でした。

その年の7月、人生でもっとも悲しい出来事もあり…
そのため、何かを忘れるかのように、まさしく汗水を流して無茶してみたい気分。
この日本滞在中の時間を利用して、何か仕事ができないものだろうか…

柔整師として、介護業界で働こうか…
長距離トラック運転手でも、短期でいけるだろうか…

もちろんニュージーランドの会社業務も、日本でせねばならない。
長期勤務でなく、ニュージーの仕事もできる時間も…

そんな仕事を探していると、ひとつの派遣職種が目に留まる…
〇〇デリカ、大阪市〇〇〇区…

ん?これって、もしかしたら昔、勤務していた〇〇デリカ?
社名こそ変わっているが、住所といい業務内容といい、そのまま。。

あまり深く考えることもなく、気軽に派遣会社に電話してみる。
「質問なんですが、この〇〇デリカは、昔の〇〇デリカでしょうか?」
その回答は、
「はい、その通りです。あの~ もし今日これからお時間ありましたら、弊社にお越し下さい。」

と、いうことで、なんとなく地下鉄に乗って派遣会社に行ってみます。
こんな短期で、ニュージーランドの業務に支障なくできる仕事…
そんな相談を気楽にしてみるのが目的で。

派遣会社に行ってみると、
「今日これから〇〇デリカに一緒に久しぶりに行ってみませんか?」
なんとなく、昔の工場も見てみたく、また地下鉄に乗り、そのまま食品工場に。

あら、あら?

工場到着すると、気付けば懐かしい白衣姿の自分。
これから3時間、そのまま勤務する羽目に。

まぁ、3時間だけならいいか!
同行した派遣会社の社員さんも、困り顔だったのでお助けですね。
と、派遣会社のスタッフと一緒に、作業場内へ。

食品工場の社員が出迎え、言われるがままに盛り付けのラインに入っています。。
なんとも派遣会社へ気軽に電話をした3時間後には、元の食品工場で?

いきなり昔の記憶がよみがえる。
ただ色々変わってはいるが…
まず22年前と同じ敷地内ながら、工場は圧倒的に規模が大きくなっている。

急に盛り付け中のグループに組み込まれる。
急なことで、目の前の流れるお惣菜の流れに乗れずバタバタしている自分。
それを見た契約社員のおっちゃんから、嫌味いっぱいに文句付けてくる。

「この派遣、使い物にならんから、早くポジション変えてくれや~」
作業始めて、まだ3分も経っていない…

そんな言葉は聞き流しながら、徐々に工場の様子をさぐる派遣社員のY。
色々理解してきたぞ。
22年前の工場労働者は、正社員と契約社員の2構造。

それが、各ポジションのリーダーをする少数の正社員。
圧倒的多数の契約社員。
そこに奴隷さながらに、抜けた穴を埋める派遣社員。
労働者体系は以前の2構造から、3構造に。

それぞれは帽子を見たら明らかに。
正社員には、帽子に黒ラインが入っている。
契約社員は、白色帽子。
派遣社員は、すぐにわかる緑色帽子。
(写真は、その時の姿です。)

だんだん余裕が出てくると、驚愕のことに気付きます。

22年前、契約社員として配属されていた「仕分け」部門、そのリーダーだった正社員さん。
その方がなんとお偉いさんになっている!
(帽子の黒ラインの本数が多いほど、お偉いさんなんです。)

22年前、同じ契約社員だった同年代の女性が、おばちゃん正社員となりリーダーしてる!
22年前、すでにおばちゃんだった人が、おばあちゃんになってまだ盛り付けしてる~!

何に驚くかといえば、この22年間、窓すらない過酷な食品工場で…
ずっと働き続けている方がいてはる…
とんでもなく凄いこと、地味でツラい、人が遊んでいる時にも過酷な作業に耐えて…

もちろん自分に気付く人はいません。
派遣社員に人格はない。
日々入れ替わる派遣社員、使い捨ての透明エプロンに苗字だけをマジックで書くだけ。

派遣さんの苗字を呼ぶ正社員も契約社員もいません。
「そこの派遣さん!」
そんな感じで呼びつける。

こちらは目しか見えていない、緑帽子に白衣。
間違いなく顔もわからず、年齢すらも相手にはわかっていません。。
もちろん、まだ元契約社員だったことも知られていない(笑)

こうして突然に助っ人派遣社員の3時間は過ぎました。
その様子を見ていた派遣会社の社員さん。

「Yさん、このまま、しばらくまたこの工場で働いてくれませんか?」

明らかに派遣イジメもありそう。
決して働きやすくもなく、けっこうに過酷な作業。
派遣社員が希望する食品工場でないことは、短時間でもわかる。。

でも、いいかな?
しばらくいらないことを考えないですむほどに、ツラい肉体労働もよさそうだ…
誰も自分のことを覚えていないし、派遣社員奴隷のY として違う経験もできそう。

そして私は、懇願顔でいる派遣会社の社員さんに答えます。

「はい、明日からもいいですよ!」

カイロプラクティックの学校に通いながら、2年間夜勤をしていた食品工場。
22年後、ニュージーランドに永住しながら、会社を営む日本人が、再び同じ食品工場で今度は夜勤ではなく日勤ですが。
ニュージーランドの業務は、まとめて夜にしてしまおう。

何の因果か…

ただこの経験が、この後の人生を踏み出すスタートとなるのです。

「番外編 22年後…♯2」に続く。
(続ける気持ちなかったのですが、書きだした番外編、長くなりそう 笑)

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