食品工場、振り返る 番外編 #3 最終話

人生を振り返る忘備録

前回の振り返るシリーズ、「番外編 #2」では…
思いがけず派遣社員として働きだした食品工場。
最初の1か月は、朝の出勤後にしか、その日の仕事がわからない…
毎朝、ホワイトボードにある自分の名前を見つけるまで何をするかもわからない毎日。

そして、とうと指示された「仕分け」部門で働く日が来ました。
22年前、契約社員として2年間夜勤スタッフとして従事した部門です。

もちろん22年前とはシステムも変わっています。
バーコードを利用して各支店へ仕分けする個数も管理。
「ピッ!」とバーコードを読み取れば、各支店の発注個数が表示。
それに従い、出来上がった商品を仕分けしていくのです。

ただただ使い捨てのビニールエプロンに苗字が書かれているだけの派遣社員。
緑色の帽子を被り、正社員さんや契約社員の中に混じり働きます。

勤務をしだして1か月もすると、勤務後の帰宅前の姿を見た古参正社員さんに顔バレしだしました。
「あれっ、昔、仕分けで働いてなかった?」
そんなこともたまに言われるように(笑)

そして何度か「仕分け部門」で働くようになると…
昔の技術を発揮しだすY。

偶然のタイミングで、今までになかった業務、「おにぎりの仕分け」が始まったのです。
大きなトレイに味毎に大量のおにぎりがあります。
コンビニおにぎりと同じ、ビニールで包まれたおにぎりが大量に出来上がっている。
それを注文を受けた各店の発注数に従い、スピーディーに仕分けしていくのがお仕事。

A店 しゃけ8 シーチキンおにぎり10 昆布5…
B店 しゃけ10 梅干し20 こんぶ3…

P店

発注表を見て、手作業で仕分けをしなくてはなりません。
あまりにも生産数が多いおにぎりは、バーコードなども使っていられない。

この作業は22年前とまったく同じ作業でした。
そしてこれを2年間、ほぼ毎日のようにこなしていた自分。
手先の器用なYは当時もこれが得意な作業だったのです。
両手を使い、7個や8個のおにぎりを潰れないように一気に掴み、移動させていく。。
発注数を確認してこなしていく…
ただそんなことをできるのは、契約社員さんにもいらっしゃらない。。

そのため、他スタッフさんに比較をしても、派遣Yの作業スピードと正確性が格段に上!
契約社員スタッフがミスをすれば、数の間違い探しだけでも30分や1時間がロスをする…

そのうち、それが「仕分け部門」で問題となってきました。
ところが、ここで誰とも知らない派遣社員Yだけが、見事な正確さとスピードでこなしてしまう現実。
それはそうだ… 何年経とうとも昔取った杵柄(笑)
(自慢話のようですが、少し我慢してください。笑)

こうしてYは「仕分け部門」から重宝されだし、逆に指名をされるようになります。
「仕分け部門」としても、使える派遣社員は助かります。
お互いの利害が一致ですね。
毎日違う部門で働いていた日々から脱却。
「仕分け部門」選任の派遣社員Yに格上げです(笑)

やはり日々何をするのかもわからないより、毎日同じ職種であった方がこちらも楽に。
他の部門で面倒な派遣イジメを楽しむアホな契約社員に会うこともなくなります。
1か月間、色々な部門で経験をした後です。
22年前と同じように、毎日「仕分け部門」勤務となりました。

ある時のこと、「仕分け部門」のトップである正社員さんからお声が。
まったく私の素性も年齢すらもわかっておられません。
「ちょっといいですか、Yさん」
「もしこの先の就職先も見つかっていないのなら、派遣ではなく契約社員として…」

お~、こうしてYはめでたく食品工場の契約社員になりました~!
な、わけもなかろう(笑)

なんせ、私はニュージーランド在住で、会社を経営している身。
国家試験の合格発表結果を待つまでの短期就業です。

丁寧にお断りをいたしました。
でも、よい思い出です!
なんなら、今でも食品工場勤務をしたら生きていけるぞ!(笑)

「仕分け部門」選任となり、勤務も終了したある日のこと。
夜勤の「仕分け部門」さんと交代をする時でした…

その夜勤のリーダーさんの顔に見覚えがある。
そしてお互いに顔を見合わせ…

うわぁ、22年前に同じ契約社員として「仕分け部門」の同僚だった兄ちゃん!
それがオッサンになりながらも、同じ夜勤で同じ業務を!?
兄ちゃんも自分のことを覚えているようです。

「久しぶり!もしかしてあれからずっとここで頑張ってるの!?」
そう声を掛けた相手からの言葉は、
「これしか、できへんからな 笑」

この言葉を聞いた時、私は頭を打たれました…
「こやつには勝たれへん…」
そしてとても感動して、泣きそうにもなっていました。

窓ひとつない工場で、過酷極まりない食品工場の仕分け作業。
それを22年以上、それも夕方6時からおよそ12時間の夜勤を。。
昔はチャラチャラしていて、若いお姉さんスタッフを遊びに誘ってたロン毛の兄ちゃん。
22年後、今はリーダーとして夜勤スタッフに指示を出している。。
まともな休憩もない、祝日やお盆、年末年始は地獄のような勤務をずっと。。

その後に連絡先を交換したわけでもなく、交替時に顔を合わせてハイタッチ。
派遣社員Yと夜勤リーダーが仲良くしている姿。
他の契約社員や正社員が疑問を持ち、どんな関係かと質問をされて。。
見事にその後は身バレをしてしまいました(笑)

結局、予定より長く3か月間、食品工場で働きました。
今でも、この時にあった夜勤リーダーのことをよく思い出します。
あ~ 今でも夜勤で仕分けしてはるんやな…
「もう少し自分も頑張ろう!」
そう思えるのです。

サラリーマンを辞めてから約25年。
長く勤労学生をしました。
そして自営をしてきました。
結局はずっと好きなことを仕事にしてきたのです。

何かを忘れていたように思います。
汗水を流し、睡魔と戦い、休むことも許されず。
人が遊んでいる時に働く。

サラリーマンを退職して安定を捨てた時。
そんな不安を打ち消すかのように、3時間の睡眠時間も許さず、無茶をして働いた若い頃。
人生でも貴重な経験をした証をもう一度確認するための3か月でした。

その後を生きるための、新たな財産となったのです。

3か月の勤務で6キロも瘦せてニュージーランドに帰国をしたのですが(笑)

次回は、22年前に時を戻しましょう!
脱サラ後、勤労学生のお話です。

(追伸)
派遣社員として私が働いた「仕分け部門」。
そこのスタッフさんだったSさん(日本人)。
ブラジル人の彼女と一緒に生活するため、ブラジル移住の直前でした。
自分がニュージーランド在住だったこともあり、海外在住のお話をしました。

今はサンパウロで生きているSさん。
同じ海外在住者となりました。
コロナに気を付けて、元気に頑張って下さい。
いつかニュージーランドにも彼女と遊びに来てくださいね。

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