振り返る最後の半年、退職前 その2

人生を振り返る忘備録

前回、「その1」では、松葉杖で会社に復帰。
退職を決意した後の働く姿をお話しました。

今回は、密かに始めた退職準備のお話。

まずは差し迫った引っ越しがすぐそこでした。
前々回のお話でした、10倍の倍率を押し退け、奇跡的に当選をした公団住宅。
当時住んでいたマンション家賃、しっかり会社の補助が大きかったがために住むことをゆるされていました。
この家賃も退職をすればすべてが自己負担、無理!

そのため家賃が半額となるも広さは2倍の公団住宅(いわゆる団地ですね!)に引っ越しです。
引っ越し準備は、帰宅後の夜。
それもこれまた部屋中を這いつくばって必死の苦行。
重たいダンボールを運ぶこともできない。
紐をつなぎ、腕の筋力だけで引っ張って移動させる。
それでもなんとか荷造りを終えて、引っ越し業者さんにお願いをして無事に完了。
これで半年を切った退職前に新居へ落ち着きます。
新居といっても、団地だけどね(笑)

ここからは会社員を辞める人間は誰もがせねばならないこと。
まずは歯の治療。

退社後は健康保険も国民健康保険に変わります。
その影響は自己負担率が大きくなる…
ならば社会保険のうちに、歯の治療はしておかなければなりません。

静かに歯医者さんの予約を済ませ、退社後に通院をします。
歯医者さんなら基本座ったままの時間が長いので助かるのです。

まだまだあります。
会社を辞めてしまえば、信用も下落する日本社会。
体裁と安定が人の価値を決める、それが日本の大きな価値判断。
はい、今のうちにクレジットカードも作っておきましょう。

そして間違いなく収入も減少する。
ならば、タバコになぞに浪費する場合ではありません。
退職の時を目指して、禁煙にふみきりました。
あの頃は相当のヘビースモーカー。
今でも1本吸ってしまえば、すぐにもとにもどってしまうことでしょう。

でもやめておいてよかった!
ニュージーランドの社会では、喫煙者は迫害されます。
法律的にも、費用的にも喫煙していては生きづらい国です。

海外に住むことになるとは、微塵も思っていませんでした。
ですが、あの時にタバコをやめたことはラッキーだったのです。
今では日本帰国の度、喫煙者の多さに戸惑ってしまいます。。

こうして会社員として業務をこなしつつ、けっこう忙しい毎日。
そしてもちろん左脚のリハビリは継続。
幸運にも徐々に回復していきます。
正直、心配している余裕さえなかったがため、いかに歩けるようになっていったのかが記憶に薄いのです。
松葉杖をはずし、左脚を引きづりながらも歩行したのは、年を明けた1月のことだったように思います。。

一番大事なことを記しておかなければなりません。
退職後の将来をスポーツトレーナーになるということに焦点を設定。
そのためには、まず何を学ぶべきか…
私は医療従事者のひとつである、「鍼灸師」になるべく、「鍼灸専門学校」の受験を決意。
入学試験は来年の2月、あと4カ月ほどしかありません。

久しぶりの受験勉強、国語、数学、生物を学ぶ、残り少ないサラリーマン生活だったのです。
国語も数学も好きだったのですが、苦手な理系の生物が本当にイヤでした(笑)

そんな激動の1994年も終わります。
年が明けた1995年、1月17日、滋賀県への出張準備をしていた早朝…
経験のない激しい揺れが、大阪南港の公団住宅をも襲ったのです…

公団のある南港からは大阪湾を挟んだ対岸の神戸。
遠くには立ち上る煙が見えます。
ニュースでは阪神高速道路が崩壊、炎が激しい神戸の街が映っています。。
その方角に向かう、数えきれないヘリコプターが爆音とともに南港の上空を飛んでいきます。

その3 につづく

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