製造工場勤務、振り返る時なんだ… その3

人生を振り返る忘備録

前回『その2』において、現場作業と製図業務で忙殺される日々を語りました。

4月に入社、研修を経てそのまま製造工場に居残り。
そして季節は夏を迎えました。

『その1』でもお話をした通り、工場内は想像を絶する暑さ。
1200度を超える灼熱の鋼を相手の現場作業は過酷。

現場作業の合間、水分補給は当然ながら、塩を舐めます。
これをしなければ、たちまち脱水症状となり、痙攣が始まってしまう。。

明るいうちは現場、そして深夜まで製図業務をこなし寮にもどります。
まず自室で行うことは、ペットボトルのスポーツ飲料をガブ飲みです。

寮の賄いでいただく夕食は美味しく、それが楽しみ。
夕食も終わる時間も遅いのですが、その後は寮の先輩方とのお酒が。。

以前、お話をしたかと。
この時点において、私は下戸でした。

まさしく『フラッシャー』。
アルコールが体内に入ると分解せずに体中が真っ赤になります。
これはもはや母方の遺伝としか言いようがない。

それもあり、勤務先となるはずの東京支店へ挨拶に赴いた時、酒が飲めない私は、大変なお怒りを買うことになりました。

どうもその時のことがあり、東京支店から私についてのお達しが、ここ製造工場にあったようです。
もちろんその時には、私はご存知ないこと。
『Yを飲めるように仕込んでほしい。』
そのようなお話が箱根の峠も関ヶ原も越えて、届いていたようです。

こうして、私は毎晩のように酒を飲むこととなるのです。
ですが、先輩方はとても優しい。
毎日、つらい業務を一緒にこなしているので、とても仲間意識も強く、温かい。

『Y 遠慮せず、まぁ飲め!』

酒はつらい、でもその場はとても嬉しい時間。
ほぼ毎晩のこと。
ですが、すぐに飲めるようにはなりません。

早朝の現場作業前に、必ず前夜のアルコールと食料を吐いてからでないと仕事にならない。
そして待つは酷暑を超えた暑さ、汗はすぐに蒸発をして塩となり、白く作業着に残る。
塩を舐めながら、水分摂取をして息抜き、そして夜を迎え、アルコール…

少しお話は先走ります。
(次回、少し時間もどってお話します。)

夏を超えて、半年を過ぎると、何のダイエットもせずに10キロ減量。
久しぶりに会った方が、まず心配顔をされる。
本社の方も、
「おまえ、大丈夫か~? 痩せすぎやろ…」

もうひとつ、変化がありました。
フラッシャーはまったくそのままながら、顔真っ赤にしたまま、結構飲めるようになっておりました。
慣れとは恐ろしや…

それに反して、私はお酒を飲むことが楽しくなくなっていたのです。
もちろん工場の先輩方、同僚の方々は大好き、今でもよい思い出の中に。

でもお酒は、この先好んで飲むことがなくなりました。
どうもこの頃から、頑固な性格は今と同じだったようで(苦笑)。
この先、お酒に使うお金は、自分に、色々な経験にまわしてやりました。

日本では?

そうニュージーランド移住してからの方が飲んでいる、ホークスベイ地方のワインの味にも結構詳しくなっています。
日本帰国時にも、けっこうビールを飲むことが多くなり。

Yのことをずっと飲まない奴と思っていた身近な人がびっくり!
「おまえ、飲むのか?」
そう、フラッシャーした赤ら顔を嫌がらない間柄の人と一緒なら、飲んでいたりするこの頃です。

製造工場勤務から少しだけ先の将来の自分、専門学校3校・3+3+1=7年 & 語学学校1年、合計8年の多大なる学費などに、酒代だったはずのお金は費やされたはずです。

何が幸せなのか、何が正解なのかは人生においてはわかりません。
ただただ、自分は少し選択の機会が多い人生だったと思います。
波乱万丈という言葉は、何かおこがましいような気がします。

製造工場勤務も終盤を迎えることになります。

製造工場勤務の (最終回)に、つづく

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