第24話にて、実習先の柔道クラブでの模様をお届けいたしました。
特にジュニアのコーチとして教えた後のシニアクラスにおいて、対抗心むき出しの柔道選手を相手の練習での怪我。
特に2度の肋骨骨折は、思いがけない痛みを伴いました。
それでもなんとか実習に必要な2ヶ月を終えて、実習先監督管、わたしの場合は、クラブのコーチからの評価もいただき、レポートとともに学校に提出。
無事に大切な単位も取ることができたのです。
はい、これでおしまい!
とはいかず、実習期間を過ぎても柔道クラブ通いは続き、3ヶ月、4ヶ月、そして結局6ヶ月まで通うはめになります。
最後はどうしても離れなければならなくなり(そのお話は追々)、柔道クラブのコーチにも伝えます。
そうすると、コーチから「Yoshiの壮行試合」をやろう!
ってことで、クラブ全員参加者の柔道大会。
今思えばこれがわたしの柔道引退試合でもありました(笑)
次々とジュニアたちの試合が続き、わたしの出番は最後。
相手は日本で言えば中学3年。
体格もすでに180センチを超える、ニュージーランドのジュニアでもトップクラスの強敵。
日頃の練習では、わたしのことを舐めており、「へっ Yoshiなんか!」
という感じで、少し鼻高々。
練習も適当にこなすきらいがありました。
すでにコーチからは、「思いっきり行け!」 とゴーサイン。
ここで負ける訳にもいかず、珍しく緊張気味に気合い入りまくり。
結果は、2度相手の生意気坊主を畳に投げつけ、技あり2つの合わせ技一本で勝利。
試合後、よほど悔しかったのでしょう。
坊主君は大泣き…
後に彼はニュージーランドのジュニアチャンピオンになったとさ。
めでたし、めでたし!
それから10年もすれば、ジュニアのガキンチョたちも、立派な大人。
ホームセンターを歩いていると、見知らぬヒゲをはやした若者。
「Yoshi、覚えているか?」
なんて教え子が声をかけてくることも。
自分も歳とったのね…
と感じたり、嬉しく実習を思い出したりするのです。
知らず、ニュージーランドでも、自分の歴史が作られていってます…
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