第30話 ニュージー専門留学 エピローグ

Yoshiの 留学 体験記 〈 完 〉

前回の最終話でのこと。
場所は、北島のネイピアにあるポリテクニック、EIT。
専門課程、Diploma of Recreation & Sport コースを無事に修了しました。

今までの29話、語学留学と専門留学の2年間を振り返ります。

留学生活とまとめて言っても、そこにはやはり年齢による違いがあります。
ここでは、大人の留学、つまり日本での社会経験を送ったのちの留学。
私の留学がまさしく、これにあたります。
このような留学について、少しだけ語って残します。

私がニュージーランドに来た14年前、これから語学留学を始めようとした時。
その時の英語力は…
典型的な日本人たらん、受験英語の名残りによる文法は少しわかっている。
ですが、スピーキングやリスニングは、もうさっぱり。
机や本棚には、英語上達本がいっぱい!
なんならNHKの英語講座本もたんまりある…
いわゆる、積ん読(つんどく)の英語です(笑)

そんな日本人が語学留学をニュージーランドの首都、ウェリントンで経験します。

どうしても結果的に語学学校では、年下の若い学生と一緒に勉強することに。
日本人なら、やはり年齢というものをどこかで気にするはず。

でもその後のポリテクに行けばわかる。
そんなもん、さっぱり問題ない。
なぜなら、ポリテクの同級生は、下は16歳、上は60歳のおばちゃんでした。
わたしはよくよく「ボ~イ!」と呼ばれる、30代後半(笑)

日本を離れ、学生生活を送る地には、浪人や留年なんて言葉すら存在しない。
「学びたい時に行くのが学校」
つくづく実感、大事なことに気付きます。
それは人生でも大きなことよ。

なので、語学学校なり専門学校でも、年齢などまったく気にする意味はありません。
それを日本人として理解する必要があります。

語学学校で大切なことをいくつか。
・外国人(つまり日本人以外)と英語で会話をすることにまず慣れること。
・文法を日本語ではなく、英語で学ぶという基本を大切に。
・わからない単語を抜き出し、日本語訳を付けた単語帳など作らない!
・間違ってもいい!英語ができないのだから語学学校にいる。
・たったひとりでよい、素晴らしい英語教師に巡り会える努力を。
・語学学校だけでは物足りない、遊びに行く、他のサークルなどの経験も。
・日本人だけで集うなら、日本の駅前留学となんら変わりない。
・英語習得に時間を費やせる、贅沢で短い時間であることを意識して。

このような感じでしょうか。
私はとてもラッキーなことに、ジェスという素晴らしい英語講師に出会うことができました。
以前にもお話、ジェスがいなかったら、今の英語生活はありません。
今年の1月2日には、13年ぶりのジェスとの再会。
ジェスのパートナーと可愛いい息子との時間を過ごします。

語学学校で話される英語は、本当にわかりやすいもの。
英語のプロである講師もわかりやすい英語を話してくれます。
もちろん、英語に慣れることができる語学学校は、大人の留学には絶対不可欠。
特に英語で英文法を学ぶことができる貴重さは、語学学校に行ってわかるもの。

でも、語学学校に長く通う必要はありません。
長くても1年以上いる必要はないのかもしれません。
語学学校のあと、どんなに簡単なコースでもいいです。
専門課程に進み、より生きた英語を学ぶことをオススメします。

そう、語学留学を終えて専門課程に進めば、そこには地獄が待っています。
語学学校の英語とは違う、社会で生きた英語。
さっぱりわからないのかもしれない。
あれほど語学学校で学んだ英語がチンプンカンプン(泣)

今ならわかる。
それはそうです。
幼稚園児がいきなり大学で学ぶようなもの。
英語なんて使えるわけもない。
なぜなら、大人の英語なぞ、わかる英語の範囲が極端に狭い。
語学学校開けなら、なおのこと。

どうすればよい?
迷う暇などなく、アサイメント(小論文)とテストに追いかけられるから心配いりません(笑)
留学生だから、日本人だからと容赦はされない。
泣いても騒いでも、そこは専門課程。

そこで日本帰国をする。
はってでもなんとか踏ん張る。。

それは人それぞれ。
母国に帰国をした学生もいっぱいいました。

ですが、ここでも自分の場合は幸運だったのです。

それは同じ留学生の友人がいたから。
留学生同志、助け合いながら必死で耐えることができのだから。
そして知らないうちに英語がわからないことにも慣れる。
慣れて諦めた結果は、日本語を介さない、英語を英語として理解する手立てを脳ミソが最終手段として使うようになります。
そこからなんです。
大人の留学にとっての、本当の英語上達が始まるように思います。

 

同じ留学生として戦った同志のエピローグ…

ロシア人のオレグ。
EIT修了後、ネイピアのジムでインスタクターとして働きます。
オレグ、奥さん、息子の家族全員が、ニュージーランドの永住権を無事に取得。
もちろん、それには時間も努力も必要でした。

ですがモスクワという大都市で生きてきた家族は、ニュージーランドという田舎に生きることができなくなります。
結果、家族3人はロシアに帰国しました。
今でも3人が長距離バスでネイピアを離れた時を忘れていません。
オレグとはそれからは音信不通です。
もしオレグ家族がまだネイピアにいたのなら、自分の人生はもっと楽しかったことでしょう。
モスクワであやつは元気にいるに違いありません。
いつか、日本? モスクワ? 会いたいものです。

でもガキンチョだったオレグの息子、なんとオークランドで大学生活を送っているようです!
息子は田舎の国を選択したのでした。

そして台湾人のチー。
そういえば最近顔見てないな~(笑)

チーはコース修了後、そのままEITに残り大学資格課程に進学。
オレグもYoshiもいなくなった学校で、相当に孤独感で苦しんだようです。

それでもオレグや自分よりずっと若いチーの英語力は、数段伸びて…
同じ、リクリエーション & スポーツコースの大学卒業資格を修了。

ネイピアのプールセンターに就職したチー。
年月を経てニュージーランドの永住権、そして市民権をも取得。

まだ、そのへんにいる。
車で10分もかからない近くに生きていると、よけいに会わんな。
いつもSNSでつながって、お互いに会った気分になっています。
あえば喧嘩するから、このぐらいがよいのか(笑)

13年前に留学生として、そしてクラスメートとして過ごした同じアジア人。
2人はまだ、母国から遠く離れたニュージーランド、それも留学先のネイピアに生きています。

ニュージーランド留学を経験。
そして今があります。

Yoshiの留学体験記
これにて、おしまいです。

〈 完 〉

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