お題をひとつ #01「母の味?」

お題をひとつ

ブログ連続投稿も500日を越えました。
ここぞとばかりに、新シリーズを始めましょう。

もうほぼほぼエッセー?
勝手にお題をひとつ決めて、それについてざっくばらんにお話。
ただそれだけのブログです。
なんとも自由度が高いこと(笑)
少しは自分に甘くいきます。

最初を飾るお題は、「母の味?」
なんとも微笑ましいこと!?

母親は間違いなく料理が得意ではない。
私には「母の味」なる記憶はまったくありません(笑)

ですが、ここで母親の悪口を言うわけではないのでご安心ください。
けっして仲良い親子ではありませんが、ただただ現実だけ。

大人になってからわかること。
母親には美味しく料理をしようとかそういう気持ちはなかったのかもしれない。
アジフライをド~ン!
冷や麦をド~ン!
焼き魚をドバ~ン!

いつも食卓はそんな感じ、子供の頃はそれが普通だと思っていました。
その代わりに、大人になってからも記憶に残る味は母方の田舎の味です。

物心つくまで、ほぼほぼ預けられていた岐阜県の高山。
飛騨の高山ですね。

なので、今でも高山、赤カブの漬物や朴葉みそ、みたらし団子は大好きです。
5歳ごろまでに舌で覚えた味は、今でも自分の好みとして残っています。
それは母親の味ではなく、おばあちゃんの味なんです。

小中学校は給食の味がすべて。
家での食事が楽しみなどさっぱりありません。
理由のひとつを大人になって理解します。
それは、母親が肉嫌いだった…
子供の頃はそれすらわからず、こんな料理が普通だとずっと思っていました。

ただ小中学校の遠足で持っていくお弁当。
これがまた恥ずかしい。
どうみても他の弁当より見た目も美しくない。
ほぼ一品で茶色一色のお弁当。

だんだんと、もしかして…
うちのお弁当は他と違う?
気付きだします。

こんな書き方をしていると、もしかして貧乏な家庭で?
いいぇ、極々普通、もしかしたら少しは裕福だったのかもしれないサラリーマン家庭。

ただただ母親に料理の腕前がなかっただけです。

高校に入学すると給食もなくなり、お弁当持参に。
ですが、3か月もせずして母親が降参 (笑)
昼食代込みのお小遣い制に移行。
けっこう贅沢できる金額をもらう。

この時まで外食を両親とした記憶がほぼありません。
焼肉はもちろん、ファミレス、ハンバーガー、ラーメン、中華、何も食べたことがない高校生。

名古屋で過ごす高校時代。
ここからひとり、食べることの喜びを知るのです(笑)

毎日のように放課後、ひとりで外食をしだす。
きしめん、ラーメン、味噌カツ、焼肉、うなぎ…

世の中にはこんなに美味しいものがあったのか~
もう食べ物への興味が尽きない。
それまでの遅れを取り戻すかのように、食べる。。

食の好みというのは、親の影響があるものでしょう。
このような少年時代までを過ごしたがため、自分の場合はほぼゼロ。

私の好みは、飛騨高山名物、そして高校時代、大学時代に覚えた味が大半なんですね(笑)
つまり、高山、名古屋、大阪の味が人生の基本です。

何の因果でしょうか。
サラリーマンを辞めて、専門学校に通いながら夜勤の食品工場で働く機会がありました。
ここで料理の楽しさも知り、気付けば料理も困らずできる人間が出来上がっています(笑)

数年前、まだ父親も健在だった北海道の両親宅に日本帰国時の通常訪問。
行く旨を電話で伝えると、夕食を作っておくから… とのこと。

到着して夕飯の食卓には、自分だけのために、塩の効かない「サンマの塩焼き」が4匹ド~ン!
それとご飯、以上。

それなりのおもてなし。
もう相変わらずで、これが普通だったな…
そんな気持ちでした。

「母の味」など知らずとも、けっこうに人生で美味しい物を食べ、料理しています。
けっして親が料理好きである必要もなく、結局自分次第。
こうして食べることが好きでいるので、母親の料理下手を何とも思わない自分です。

日本帰国時、母親と回転寿司に行けば…

母は、サーモンとまぐろ、玉子の握り。
そして、寿司に醤油は一切つけない…
まったく理解できない息子(笑)

母親は必ず茶わん蒸しを注文する。
そして茶わん蒸しを必ずお替りをする。
茶わん蒸しをお替りする人は、人生で母親だけだ…

明らかに父方より母方の血筋が強い性格。
なるほど、味の好みの問題ではない。
でも自分が変わり者なのは、遺伝なのかもしれません。。

ニュージーランド留学は、ヨッテコット。お気軽にご相談を。
ニュージーランド現地ツアーも、ヨッテコットにご相談です。

コメント