退職の日を振り返れば ビールとお寿司…

人生を振り返る忘備録

大学を卒業、そして色々あった後に就職した会社。
多くのことを経験、学ばせていただきました。

製造業の現場
図面作成
商品管理、品質管理
営業の大変さ
簿記、経理の基礎
税務処理
コンピュータ・スキル

今の自分、この時の経験があるからこそです。
なので、自分が選んだ会社には、それからも感謝しかありません。

その会社を離れる日がきました。
朝から何度となく時計をみつめる。
さっぱり時は進まない、長い1日です。
退職願を受理してからの居心地の悪い毎日も終わります。

そして午後5時、終業の定時。
黙々と働くオフィス内の会社員には、まだ帰宅する様子はまったくありません。
誰よりも早く帰宅準備をする男は自分ひとり。

各部署を静かにまわり、退職の挨拶をしていきます。
退職をしていく人間への言葉は差し障りないもの。
憐れみと妬みが交じる複雑な表情とともに。

そして入院中、外出をして会社を訪れた時のこと。
退職の決意となるお言葉をいただいた上司にも挨拶です。

「大変お世話になりました。」
上司からの返答は覚えていません…

少し時を進めて、それから約12年後。
ニュージーランドのビザ取得手続きをするため、どうしても会社の在職証明書が必要となりました。
そのため会社オフィスを訪れる機会が。
久しぶりの会社には元同僚の顔がいっぱい。
在職証明書もいただき、元会社員はそそくさとオフィスを出ようとしたのですが。。
退職願を提出した元所属先の上司さんからお言葉。
「社長にも挨拶をしていこうよ!」

えっ、遠慮しておきます!と言う暇もなく、社長のもとに連れにいかれました。
そこに座る社長こそ、当時の退職の決意となるお言葉をいただいた上司です。

現在はニュージーランドに移住し、新たに会社を設立して…
そんな私の現況を説明してくれる元所属先の上司さん。
そこで社長さんからお言葉をいただきました。

「どうして、あんたがそんなことできるのぉ~?」

まさしくこれが当時の私に対する評価そのものでした。
その通り、会社を退職した当時の自己評価だって同じ。
会社にとっては、それほどの価値しかない何もできない人間だったのです。
今はどうなんだろう~(笑)

退職の挨拶も終わりです。
元社員となった無職の男。
誰よりも早くオフィスのドアを抜けます。
誰もいない静寂のエレベータホール。
仮面を脱ぎ捨てた男は、自然にあふれる笑みも隠せず、エレベータを待ちます。

2基あるエレベータ入口の間にあるゴミ箱が目に入る。
それと同時に、エレベータの到着を知らせる乾いた音が響きました。

何を思ったのだろう、もうそこまで記憶にはありません…
首に繋がれたネクタイを外し、ゴミ箱に投げ捨てた満面笑みの男がひとり。
(これから20年以上も先、日本でインバウンド添乗業務をするまで、仕事上ネクタイをしたことがありませんでした。)

下りエレベータの扉がひらく。
もう、どこにも所属しない世界に進んで飛び込むしかありません。

退職で失ったもの…

安定した収入
有給休暇
ボーナス
老後のための退職金
日本のいわゆる、世間の信用

そして取り返したもの…

居住、移転の自由 (憲法22条、この先は謳歌しすぎ!笑)
外国への移住の自由 (憲法22条、当時は必要とも思っていないが 笑)
学問の自由 (憲法23条、これもこの先にやり過ぎ~)

大好きな宇多田ヒカルの歌
」の歌詞にもあります。

「♪人生の岐路に立つ標識は在りゃせぬ♪」

なんだけど…

つまり、その時の心境を色々省いて言えば…
大切な自由を得たんだ!

ノーネクタイの元会社員が、まだ明るさ残る午後6時前。
向かった先は、大阪 天神橋商店街、いつものカウンターしかない安くて旨いお寿司屋さん。
すし政 東店(すでに 日本グルメ第31弾 でご紹介)

いつもはしない瓶ビールも注文して。
お寿司を食べながら、ひとりでお祝いです。。

あの時のことは忘れない…
美味しかったな。。

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