振り返っても長き 入院生活 その1

人生を振り返る忘備録

まず 前回のお話 をさっとお読みください。
2分もあれば十分です。

ということで…(笑)

思いがけずも10日で済むはずの入院が長引いております。
それもそのはず、左膝の治療が目的の手術後、左足が麻痺…
いきなり始まる車椅子の日常。

慣れない車椅子、まずは両腕、両肩の疲労がとんでもないんです。
日々、上腕と大胸筋、そして背筋の筋トレを繰り返しているのと同じ。

そしてベッドから車椅子への移動時にこれまたよく失敗をしてコケる(笑)
そのたびに同室の患者さんや看護師さんに助けてもらうんです。

こうして入院生活は、1日に1時間半ほどのリハビリが中心。
もちろん整形外科なので病気があるわけでもない、左足以外は元気そのもの!

ほぼほぼ基本はそんな毎日の入院。
ただ私はよくよく検査のため、某大学病院に行くことに。
そう、徹底的に麻痺の原因を探るのです。

まさしく医学的な検査をとことん経験することになります。

X-Ray、CT、MRI、血液検査、心電図、筋電図、はては精神鑑定?的検査まで…
1日や2日にとどまりません。
もう主治医さんも意地になって検査をします。

手術をした主治医さん、このドクターを恨んで文句を言ってもよかったはず。
ですが、当時は、日々がドラマのようであり、夢のようでもあり…
今までにない経験をする入院生活。

ドクターとも仲良くなり、恨むどころか、医師と患者さんの範囲を越えて色々なことを冗談交じりに話す。
不思議な関係でした。
なんとなく信頼関係が築かれていくのです。

今思えば、若きドクターにとっては痛恨のミス、結果だけをみてもオペ後の状態は最悪です。
ここで逃げず、検査を徹底的に行っていく姿は今でも忘れることはありません。
この時にはまだ知る由もありません。
将来、自分自身が医療の世界の端っこに足を突っ込むことを…(笑)
でも最悪の経験と思いきや、後々にそれが貴重な財産になるんだ。
このことをよくよく知っていくその後です。

今のコロナウィルスによるニュージーランドでのロックダウンも必ずや…!

リハビリ、検査、そして長い入院生活…

手術前には会話すらほとんどなかった同部屋の患者さん。
確か8人部屋だったかと思います。

長き入院により、それぞれの疾患や内情がわかってきます。
色々な方がいらっしゃいました。

骨折後の手術を繰り返しても、なかなか骨折が完治せず都合1年に及ぶ入院生活の人。
ベトナムの人は入院費用を払うことができず、本当に困っていました。
どこかの社長さんは、病院食には手を付けず、日々差し入れだけを食べるおっちゃん。
今風に言えば、反社のお兄ちゃん、でも優しい。

病院には小さな社会が知らず知らずに出来上がっているのですね。

もちろん、退院をしていく患者さんも多く。
ですが、私も含めて古参と呼ばれる患者さんもいるのですが、だんだんと窓際の特等席にベッドの位置が昇進していくのです!(笑)

ここでひとつ忘れられない思い出があります。
いえ、いっぱい今でも記憶に残る出来事が。

今日はひとつだけ、あとはまた次回以降に。

入院をしていても当然に入浴はさせていただける。
お風呂です!

当時はまだ男性の看護師さんも病棟にはいなくて、昔の看護婦さんばかり。
ですから、入浴介助をしてもらうこともできず。

その病院、病棟付きのお風呂はとっても豪華に大きかった。
時間有り余る入院生活です、入浴は本当に楽しみ。

入浴時は2人1組!(もちろん、男性患者さん同士 笑)
この2人のペア、1人は足に疾患がある患者さん(つまり自分)。
そしてその相棒はというと、上肢つまり腕や手に疾患がある患者さん。

手の使えない人間と、足が使えない人間がペアで入浴。

シャワーや湯舟への移動を助けてもらい、着替え、頭や体を洗うことは助けてあげるんです。

口先や綺麗ごとではない。

困ったときは、お互い様。
助け合い、支え合って生きていく。

このことを身をもって知ることになる、入院生活の経験です。

その2 につづく。

(写真は入院時の撮影ではありません。その後の人生における、どの入院時のものかもわからないものです 笑)

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