愛読書 31 ~ 清武 英利 著「しんがり」

Yoshiの 愛読書

1997年、平成9年の日本。
総理大臣は、橋本龍太郎。
神戸では世間を震撼させた連続児童殺傷事件があった年。

当時、4大証券と呼ばれた、野村、日興、大和、そして山一証券。
名門山一証券が自主廃業、そして廃業後の精算作業を行った社員のノンフェクションです。
当時の社長が泣きながらの会見、怒号が飛び交うエレベーターホールの放送は忘れることができません。

この精算業務を行ったのは、証券会社の最前線で働いた営業マンではなく、いわゆる業務や庶務の方々。
バブルが弾けた後の損失を、役員たちにより度重なる粉飾決算により、自主廃業をした事実。
その事実を明らかにすべく、そしてそれにより次の道に進むべく、それぞれの思いで精算作業をしていく元山一証券マン。

日本独特な会社組織と愛社精神。
金融機関の内幕などを知るうえで、とても有益なノンフェクションです。

私も会社員時代には、営業と業務部門の両方で働いたので、その両者における葛藤、しがらみについても興味深く読みました。
ドラマ化もされましたし、池上さんも絶賛されていたノンフィクションです。

ただ私にとっては、ただのノンフェクションではありません…

1997年の自主廃業から、少し時をもどした1990年。
翌年にはバブルが崩壊することなど、まったく予期しない好景気で浮かれる世の中。
そんな年に大学4回生として就職活動をしていた私、Y。

バブル時の金融機関は有頂天の絶好調、そして大学生には超優良就職先でもありました。
銀行、証券会社、保険会社…
今では考えられないことですが、これらの内定を得ることは難しいことではなく、超売り手市場でした。
私も4大証券のうち、野村証券をのぞく3社から内定(内々定も含)を得ていたのです。

そう、この7年後に自主廃業をする山一証券からも内定をいただいていました。
当時から山一証券の特徴として、「法人の山一」と呼ばれ、法人営業に強みをもつ証券会社。
ですが、就職先としてみれば、他証券会社と比較して社員さんの応対や性格がとてもよいと評判でした。
就職を目の前にする大学生は、「人の山一」と呼んでいたのを覚えています。

実際、私の担当をされた人事課スタッフの対応も本当に嬉しいものでした。
そして私の就職先として、ほぼほぼ山一証券に決定をしていたのです。

それが悩んだすえ、最終の内定式に当日行かず、山一証券の人事課からの電話で…
「君の希望も人生も終わだ!!」と当然のお叱りを受けました。
その模様は、忘備録シリーズの就職活動回 からどうぞ。

 

時は進み、もう一度 1997年に。
山一証券 自主廃業の報道にくぎ付けのY。
Yはすでに山一証券の内定を捨て就職をした鉄鋼商社を退職。
その後、3年間のカイロプラクティック専門学院を修了。
そして自営業として最初のカイロプラクティック院を開院したのが1997年でした。

当時は、山一に行かなくてよかったなどという心境にはなれず、不思議な気持ち。
色々なことを考えることもできず、ただ就職活動時にお会いした社員さんのことを思い出していたことを覚えています。

そして時はもっと流れ、生活する国も変わります。
2015年に出版されたこのノンフェクションをニュージーランドの地で読みながら、落ち着いて考える…

山一に就職をしていたのなら、自分は今どうしていたのだろう…
自主廃業を山一マン(当時、山一証券社員の呼称)として迎えていたのだろうか…
もしそうなら、廃業後をどうしていたのだろうか。

そんなことを思わずにはいられない、私には特別な一冊の本です。

制御不能の出来事を数多く経験しながら、正解のわからない選択を続けた結果が人生です。
自分もあらゆる選択肢があった過去、悩みながら選んだ道がここにつながっていただけ…
そして今、ニュージーランドに生きているのです。

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